2章
4章
マタイによる福音書3章
バプテスマのヨハネの宣教(3:1-12) イエスの宣教に先立ちヨハネの宣教 [1] が行われた。しかしヨハネは、あくまでも後から来るイエスのために「道を備え」「その道をまっすぐにする」ことが使命であった。 1節 そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教を宣べて言った、 二章の終わりと三章のはじめの「そのころ」との間には30年の時が経過している。「ユダヤの荒野」は死海の西方の山地に囲まれたヨルダンの谷間。 2節 「悔い改めよ、天国は近づいた」。 神の国である天国に入るには悔い改めを唯一の必要条件とする。悔い改めは自分の罪を神殿の捧げものなど他に転化しないで、それに対面することから発生する生の根本的方向転換である。 悔い改めなければならない理由として、ヨハネは天国が近づいたからだと言っている。 天の御国の王であるキリストが、間もなく来られようとしているという意味だ。 キリストをお迎えするために、悔い改めよ。すなわち、神の言われることに背き、自分勝手に歩んでいるが、そうした行いは罪であるから、それが罪であることを認め、その罪を犯したことを悲しみ、思いを変えて、行いを改めよと宣言している。 3節 預言者イザヤによって、 「荒野で呼ばわる者の声がする、 『主の道を備えよ、 その道筋をまっすぐにせよ』」 と言われたのは、この人のことである。 イザヤ書からの引用 「呼ばわる者の声がする、 「荒野に主の道を備え、 さばくに、われわれの神のために、 大路をまっすぐにせよ。」」(イザヤ40:3) 主とはイエス・キリスト。イザヤは主が近いことを「呼ばわるもの」が誰であるかを書いていないが、マタイはヨハネのことであると明記した。 王がある地域を通る時、その前に先駆者として走る人物がいる。先駆者の重要な役目は、王の到来を布告して、王が来られる準備をせよと人々に宣告することだった。バプテスマのヨハネは、キリストが来られることを前もって布告するイザヤが預言した先駆者だったのである。彼は、「大路」人々の心をまっすぐにしなければならなかった。 4節 このヨハネは、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。 救い主が来る前にエリヤが再来 [2] すると言われていた。ヨハネは使命ばかりか風采までもエリヤに似ていた。 「彼らは答えた、「その人は毛ごろもを着て、腰に皮の帯を締めていました」。彼は言った、「その人はテシべびとエリヤだ」。 」(2列王1:8) 食べ物は荒野に住む人にふさわしい野蜜(KJV: wild honey)とイナゴ [3] だった。 また説教をユダヤの荒野で行い、外見も生活様式も社会的に認められているユダヤ人の宗教指導者とは対象的であった。 5節 すると、エルサレムとユダヤ全土とヨルダン附近一帯の人々が、ぞくぞくとヨハネのところに出てきて、 ヨハネの悔い改めとバプテスマの呼びかけは、パレスチナ全土に及び多くの人がヨハネのもとに集まった。 6節 自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。 人々は罪があることを認めそれを告白した。告白は償いの前提である。 「もしこれらの一つについて、とがを得たときは、その罪を犯したことを告白し、 」(レビ5:5) 7節 ヨハネは、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けようとしてきたのを見て、彼らに言った、「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、おまえたちはのがれられると、だれが教えたのか。 ヨハネのもとに来た人の中にはパリサイ人やサドカイ人がいた。パリサイ人はユダヤの有力な党派で、ヘブル語の「分離した人」の意味の「ペルーシーム」に由来し、徹底した律法主義のため一般人から分離していた。サドカイ人はパリサイ人と対立したもう一つの党派で、ソロモン時代の祭司長ザドクに由来するといわれる。宗教的なパリサイ人に対しサドカイ人は政治的色彩が強く、ローマ政府に友好的だった。彼らの日頃の行動を見ていたヨハネは彼らに「神の怒り」から逃れられないと言った。 8節 だから、悔改めにふさわしい実を結べ。 ヨハネは彼らを「神の怒り」から逃れたいなら、悔い改めにふさわしい行いをせよと叱責した。 9節 自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。 ユダヤ人はアブラハムの子孫というだけで、神に選ばれた民であると信じていた。ヨハネは「神はこれらの石ころ(バーニム)からでも、アブラハムの子(バニム)を起す」と言い、彼らの誇りはむなしいものであることを示した。 10節 斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。 ここでヨハネの「天国が近づいた」とは審判が近づいたことを示している。 11節 わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。 ヨハネのバプテスマとイエスのバプテスマの相違 [4] が示されている。「くつをぬがせてあげる」のは奴隷の仕事だった。 12節 また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう」。 メシヤは悔い改める人と悔い改めない人を分ける。 イエスのバプテスマ(3:13-17) イエスとバプテスマのヨハネとの出会いとイエスのバプテスマ。 13節 そのときイエスは、ガリラヤを出てヨルダン川に現れ、ヨハネのところにきて、バプテスマを受けようとされた。 イエスはヨハネからバプテスマを受けるために出てきた。 14節 ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」。 罪のないイエスが罪の赦しのバプテスマを受ける理由はない。 15節 しかし、イエスは答えて言われた、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」。そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。 イエスには罪がなかったが、全イスラエル(全人類)は悔い改める必要があった。また神の救いの計画である地上で全人類が通過しなければならない道筋を神の御子も通ることが必要であった。それによってイエスは罪がない正しい人であっても救いに与るためには、バプテスマを受けなければならないことを示した。 16節 イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。 天父はヨハネの悔い改めのバプテスマをイエスにメシヤの使命を授ける聖任のしるしに変えられた。聖霊は鳩のように静かに働く。 17節 また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。 神の宣言、前半は詩編、後半はイザヤ書からの引用。 「わたしは主の詔をのべよう。 主はわたしに言われた、「おまえはわたしの子だ。 きょう、わたしはおまえを生んだ。」(詩編2:7) (KJV) I will declare the decree: the Lord hath said unto me, Thou art my Son; this day have I begotten thee. 「わたしの支持するわがしもべ、 わたしの喜ぶわが選び人を見よ。 わたしはわが霊を彼に与えた。 彼はもろもろの国びとに道をしめす。(イザヤ42:1) (KJV) Behold my servant, whom I uphold; mine elect, in whom my soul delighteth; I have put my spirit upon him: he shall bring forth judgment to the Gentiles. (2019/02/02)
[1] 「それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音を述べたものです。」(使徒行伝10:37)
[2] 「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。」(マラキ4:5)
[3] 「すなわち、そのうち次のものは食べることができる。移住いなごの類、遍歴いなごの類、大いなごの類、小いなごの類である。」(レビ11:22)
[4] ヨエルは悔い改めと聖霊を対応させている。 「その後わたしはわが霊を すべての肉なる者に注ぐ。 あなたがたのむすこ、娘は預言をし、 あなたがたの老人たちは夢を見、 あなたがたの若者たちは幻を見る。」(ヨエル2:28) アモスは主の審判と火を対応させている。 「あなたがたは主を求めよ、そして生きよ。 さもないと主は火のように ヨセフの家に落ち下られる。 火はこれを焼くが、 ベテルのためにこれを消す者はひとりもない。」
マタイによる福音書略解
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