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ヨハネの黙示録3章

七つの教会への手紙

サルデス教会への手紙。 死んでいる。目を覚まして悔い改めよ。 (1-6)
1節 サルデスにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『神の七つの霊と七つの星とを持つかたが、次のように言われる。わたしはあなたのわざを知っている。すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。
   サルデスはスミルナの奥にある都会で、リデヤ(ルデヤ)州の首都だった。この町では女神キュベレとその男神アッチスを礼拝する密議教が盛んだった。ローマ人はキュベレを「大いなる母」と称していた。「生きているというのは名だけ」名だけはキリスト信者であるが、「死んでいる」霊的無気力状態(精神的には死んでいる)になっている単刀直入にサルデス教会の現状を指摘する。
2節 目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたのわざが、わたしの神のみまえに完全であるとは見ていない。
   サルデス教会は初め御霊によってはじまり、そのいのちが保たれていたが、途中で、教えられたこと、聞いたことに忠実でなくなった。しかし全部のものが死んだ状態になったわけでなく、「死にかけている残りの者」もいた。
3節 だから、あなたが、どのようにして受けたか、また聞いたかを思い起して、それを守りとおし、かつ悔い改めなさい。もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない。
   霊的無気力状態に入っているとき、福音の真理を「どのようにして受けたか、また聞いたかを思い起し」て、自分が御霊によって新しく生まれた時のことを思い出し、福音の真理の中に戻ってきなさい。そして「それを守りとおし、かつ悔い改め」て教えられたことを堅く守るようにしなさい。「わたしは盗人のように来る」(マタイ24:43,ルカ12:39,1テサロニケ5:2,2ペテロ3:10)キリストの再臨の時期は人間には知らされていない(マルコ13:35,ルカ12:39)。
4節 しかし、サルデスにはその衣を汚さない人が、数人いる。彼らは白い衣を着て、わたしと共に歩みを続けるであろう。彼らは、それにふさわしい者である。
  「衣を汚さない人」とは信仰的節操をどこまでも守って「初めの愛」(2:4)から離れない人々。そのようなキリストと共に歩み続ける信仰の勝利者、殉教者は「白い衣」(6:11)を着る。
5節 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう。
  「いのちの書」(13:8,17:8,20:12,15,21:27)は神に救われるべき人間の名が書かれている天上の記録(ダニエル7:10,12:1, [1] 詩編69:28)。その書に書かれても消し去られることもあった [2] 。「父と御使たち」父と聖霊ではなく御使いが強調されている(マルコ13:32,ルカ9:26,1テモテ5:21)。キリストは、天父や御使いたちの前で義人のためのとりなして、その人の名を言い表してくださる(マタイ10:32,ルカ12:8など)。
6節 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。

ヒラデルヒヤ教会への手紙。 門を開く。みことばに従い、名を否まず、力があった。(7-13)
7節 ヒラデルヒヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『聖なる者、まことなる者、ダビデのかぎを持つ者、開けばだれにも閉じられることがなく、閉じればだれにも開かれることのない者が、次のように言われる。
  「ヒラデルヒヤ」はサルデスからさら山地にはいったところにある町。アジア州の中心にあって東西交通の要路にあたっていた。「聖なる者」(マルコ1:24,ヨハネ6:69)。「まことなる者」(3:14,19:11)「アァメンたる者」(3:14)と同義。「ダビデのかぎを持つ者」イザヤ22:22による。「開けばだれにも閉じられることがなく」イザヤ22:22による。ヒラデルヒヤの教会はキリストから最高の賛辞を受けている。
8節 わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。
  「少ししか力がなかったにもかかわらず」この力というのは2コリント8:3のように経済的な力を指している。すなわちこの教会もスミルナの教会と同じように貧しい会員が多かったと思われる。またスミルナの教会のようにユダヤ人から攻撃を受けていた。
9節 見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。
  「ユダヤ人と自称してはいるが」外見上のユダヤ人(ローマ2:28)で、「サタンの会堂に属する者」が、ヒラデルヒヤの教会の人々を迫害していた。「彼らがあなたの足もとにきて平伏する」イザヤ60:14では異邦人がユダヤ人の足元に平伏することを述べているが、今は逆にユダヤ人がキリスト教徒の足元に平伏する。「あなたを愛している」神がイスラエルを愛しておられることはイザヤ43:4にも述べられている。
10節 忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。
  「忍耐」(13:10,14:12)。「全世界に臨もうとしている試錬の時」終末の苦難の時。
11節 わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。
  「わたしは、すぐに来る」(22:7,12,20)。「あなたの冠」2:10の「いのちの冠」を指す。「自分の持っているもの」キリストから受け継いで守っているイエスに従う信仰、真理、規定2:25。
12節 勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。
  「聖所における柱」信仰の勝利者は神の聖所の柱となり、その柱の上(またはその人の額の上)に神の御名と新しいエルサレムの名とキリストの新しい名()22:17とが書かれている。こうして新天新地が始まる(21:1)。「外へ出ることはない」神と共に存在する生活を永久に続ける。柱であるから燭台のようにその場所から取り除けられることはない(2:5の反対)。
13節 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。
  「諸教会」とあるようにこれは、すべての教会に対する聖霊のメッセージである。

ラオデキヤ教会への手紙。 冷たいか熱くあれ。門の外に立ってたたく(14-22)
14節 ラオデキヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『アァメンたる者、忠実な、まことの証人、神に造られたものの根源であるかたが、次のように言われる。
  「ラオデキヤ」ヒラデルヒヤよりさらに40マイルほど東南の奥地に入ったところにある。紀元前3世紀の中頃シリヤ王アンティオコス2世によって創設した際、妃ラオデイケの名をとってつけられた。ローマの支配下になってからは、商業の中心地となり、毛織物の製造、粉末または軟膏などの生産地として知られた。
  「アァメンたる者」はイザヤ5:16 [3] の「真実の神」による。「忠実な、まことの証人」は1:5の「忠実な証人」と3:7の「まことなる者」を組み合わせた表現。「神に造られたものの根源であるかた」キリストによって万物が創られたことを指す(ヨハネ1:3,コロサイ1:16,へブル1:2)。
15節 わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。
  「冷たくもなく、熱くもない」ラオデキヤ教会にはニコライ宗もイゼベルもサタンの会堂に属する者もなかったが、微温的状態、無関心の態度が表面に見られた。世俗化した信仰、混合宗教である。
16節 このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。
  「なまぬるい」信仰の内容は17節で述べられている。ラオデキヤの教会は、他の六つの教会と異なり、称賛の言葉がない。その原因が「なまぬるい」信仰であった。みことばが語られても、何の反応もない状態であった。
17節 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。
  「自分は富んでいる」ホセア時代のイスラエルのように「まことにわたしは富める者となった。わたしは自分ために財宝を得た」(ホセア12:8)と言い、コリント教会の一部の会員のように満腹して王のような態度(1コリント4:8)をとっていた。「みじめな者」ローマ7:24。「あわれむべき者」1コリント15:19。「目の見えない者」ヨハネ9:41。「裸な者」1コリント5:3。
18節 そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。
  「買いなさい」金と衣と目薬の三つを買うようにと皮肉まじりの勧告がなされている。金はラオデキヤの銀行家、衣はラオデキヤ産の毛織物、目薬は付近のアスクレビス神(医療の神)礼拝に用いられていた粉末状の目薬を指している。「火で精錬された金」詩編66:10,1ペテロ1:7。ここの「富む者」は神に対して富む者(ルカ12:21)、信仰に富む者(ヤコブ2:5)、良いわざに富む者(1テモテ6:18)を示す。「裸の恥をさらさないため」黙示録16:15,不信者の魂は裸体のままで暴露されている(2コリント5:3)。
19節 すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。
  「愛している者を・・・」箴言3:12,1コリント11:32,へブル12:5-6。
20節 見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。
  「わたしは戸の外に立って、たたいている」ヤコブ5:9「・・・見よ、さばき主が、すでに戸口に立っておられる。」。「彼もまたわたしと食を共にする」聖餐を共にする(ルカ24:30,42-43,ヨハネ21:12-13,使徒1:4)、天国における食事(マタイ26:29)
21節 勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。
  「わたしの座につかせよう」2:26-27の繰り返し。(マタイ19:28,ルカ22:28-29)
22節 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』」。
  「諸教会」とあるようにこれは、すべての教会に対する聖霊のメッセージである。

(2019/12/24)


[1] ダニエル12:1
 「その時あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります。また国が始まってから、その時にいたるまで、かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。しかし、その時あなたの民は救われます。すなわちあの書に名をしるされた者は皆救われます。」

[2]  出エジプト32:32-33
   「今もしあなたが、彼らの罪をゆるされますならば――。
    しかし、もしかなわなければ、どうぞあなたが書きしるされたふみから、わたしの名を消し去ってください」。
    主はモーセに言われた、「すべてわたしに罪を犯した者は、これをわたしのふみから消し去るであろう。 」

[3]  イザヤ65:16
   「それゆえ、地にあって
    おのれのために祝福を求める者は、
    真実の神によっておのれの祝福を求め、
    地にあって誓う者は、真実の神をさして誓う。
    さきの悩みは忘れられて、とわが目から隠れうせるからである。」

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