18章
20章
ヨハネの黙示録19章
「天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都について大いに喜べ。」に応じて、天上の大群衆が喜びの声をあげる。 天における礼拝 子羊の婚礼(19章1-10節) 大群集が神を讃美する(1-6) 1節 この後、わたしは天の大群衆が大声で唱えるような声を聞いた、 「ハレルヤ、救と栄光と力とは、 われらの神のものであり、 「天の大群衆」は5:11に示されているような多くの天使の群れ。「ハレルヤ」は「神を賛美せよ。」との意で、詩編などによく用いられている。アァメン、ホサナとともにキリスト教会においてそのまま用いられるようになった。しかし、新約聖書では、黙示録19章に4回用いられているだけである。 2節 そのさばきは、真実で正しい。 神は、姦淫で地を汚した大淫婦をさばき、 神の僕たちの血の報復を 彼女になさったからである」。 神のさばきが真実で正しいことは、16:7に述べられている。「血の報復」については、申命32:43,2列王9:7にも述べられている。 3節 再び声があって、「ハレルヤ、彼女が焼かれる火の煙は、世々限りなく立ちのぼる」と言った。 ハレルヤ以下の句は、14:11によったもの。18:9,18参照。 4節 すると、二十四人の長老と四つの生き物とがひれ伏し、御座にいます神を拝して言った、「アァメン、ハレルヤ」。 「アァメン、ハレルヤ」は7:12の賛美の言葉を簡潔に述べたものと考えられる。この賛美の声は二十四人の長老の声で、5節の声は四つの生き物の声であると解することもできる。 5節 その時、御座から声が出て言った、 「すべての神の僕たちよ、神をおそれる者たちよ。 小さき者も大いなる者も、 共に、われらの神をさんびせよ」。 「小さき者も大いなる者も」(老若すべて)という表現は、詩編115:13,創世記19:11によったもの。黙示録によく出る表現(11:18,13:16,19:5,18,20:12)。 6節 わたしはまた、大群衆の声、多くの水の音、また激しい雷鳴のようなものを聞いた。それはこう言った、 「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、 王なる支配者であられる。 「大群衆の声」19:1,ダニエル10:6。「多くの水の音」11:5,14:2,エゼキエル1:24,43:2。「激しい雷鳴」6:1,10:3。6節から始まる賛美の声は天上の殉教者の声とも解せられる。最初の句はヘンデルのハレルヤ・コーラスの歌詞として有名。「全能者」の語もヨハネの黙示録に多く出てくる(1:8,4:8,11:17,15:3,16:7,21:22)。 子羊の婚宴(7-10) 7節 わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。 小羊の婚姻の時がきて、 花嫁はその用意をしたからである。 「神をあがめまつろう」は「神に栄光を帰す」と同義(11:13,14:7,16:9)。「小羊の婚姻」とは、イスラエル民族が神の配偶者であるとの思想を受けたもので(ホセア2:16,イザヤ54:6,エゼキエル16:8)、新約においても、教会はキリストの花嫁と言われている(2コリント11:2,エペソ5:31-32)。この婚姻は21:9以下において実現されるのだが、それまでは新婦の準備期間であり、敵対者が滅ぼされなければならなかった。「用意」もヨハネの黙示録特有の語である(9:7,15,12:6,16:12,21:2)。 8節 彼女は、光り輝く、 汚れのない麻布の衣を着ることを許された。 この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである」。 「光り輝く、汚れのない麻布の衣」は大淫婦の着る「紫と赤の衣」(17:4,18:16)とはまったく異なるものであった。それは「聖徒たちの正しい行い」(ローマ5:18)を象徴する。 9節 それから、御使はわたしに言った、「書きしるせ。小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである」。またわたしに言った、「これらは、神の真実の言葉である」。 「御使」は17:1の御使だろう。「さいわいである」は黙示録の七福の第四のもの。17:17の「御言」はここでは「神の真実の言葉」と言われ19:13にも「神の言」となって出てくる。「小羊の婚宴」はイザヤ25:6によるもの。 10節 そこで、わたしは彼の足もとにひれ伏して、彼を拝そうとした。すると、彼は言った、「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたと同じ僕仲間であり、またイエスのあかしびとであるあなたの兄弟たちと同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい。イエスのあかしは、すなわち預言の霊である」。 天使を礼拝しようとすることは、22:8-9でも繰り返されているが、当時天使礼拝のような風習が残っていたと考えられる(コロサイ2:18)。17:1と21:9とは同じような冒頭の句であり、19:10および22:9はまた同様に天使礼拝のことに言及しているため、17:1-19:10, 21:9-22:9は二つの独立した資料の単位であったと言われている。「イエスのあかしは、すなわち預言の霊である」とは、預言者はイエスの証人であるとの意。12:17には「イエスのあかしを持っている者」と言われている。この場合、預言者または預言者の霊と言われるものは、この天使であって、この天使こそがイエスのあかしの具現者としてここに立っていることを証言しているのである。 キリストの千年の統治の開始、サタンと人々の裁き(19章11節-20章) この世の支配者たちの上に君臨される方 (11-21) 白い馬に乗った方の名は「誠実」「真実」、血に染まった服を着る「神のことば」、「王の王」「主の主」(11-16) 11節 またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。 「天が開かれ」エゼキエル1:1,マタイ3:16,ヨハネ1:51。「白い馬」6:2勝利者の乗る馬。勝利者たるキリストは「忠実で真実な者」(3:14)、また「義によってさば」く者(イザヤ11:4)であった。「戦う」とは、腕力的な戦いとともに、言論の戦いをもさしている。 12節 その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。 「燃える炎」1:14,2:18,ダニエル10:6。「多くの冠」12:3の「七つの冠」、13:1の「十の冠」との比較。「その身に」は原文にはなく、おそらくその名は額の上に書かれていたのであろう。「彼以外にはだれも知らない名」2:17の「だれも知らない新しい名」、3:12の「新しい名」を受けたものだが、次節には「神の言」として明らかにされている。 13節 彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。 「血染めの衣」は、イザヤ63:1-5 [1] にあるように敵の血をあびた衣をさすとみられる。「神の言」ヨハネ1:1「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」。これはへブル4:12の「もろ刃のつるぎよりも鋭」い神の言の剣である。 14節 そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗り、彼に従った。 「天の軍勢」は8節のように「光り輝く、汚れのない麻布の衣」を着て、白い馬に乗ってキリストに従っていた。 15節 その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。 「鋭いつるぎ」1:16によれば「鋭いもろ刃のつるぎ」であった(2:12)。「鉄のつえをもって」以下は2:27,12:5を繰り返したもので、「酒ぶね」も14:19によったもの(ヨエル3:13)。 16節 その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」という名がしるされていた。 「もも」に名が書いてあるのは少し不可解であるが、アラム語原文を仮定して、「もも」は「軍旗」の誤訳との説もある。 獣と偽預言者が火の池に投げ込まれる (17-21) 17節 また見ていると、ひとりの御使が太陽の中に立っていた。彼は、中空を飛んでいるすべての鳥にむかって、大声で叫んだ、「さあ、神の大宴会に集まってこい。 「太陽の中に立っていた」天使は天の最高点にあたる太陽の位置に立って、「中空」(8:13,14:6)を飛んでいる鳥に命令を発した。これはエゼキエル39:4,17-20によったものと思われる。 18節 そして、王たちの肉、将軍の肉、勇者の肉、馬の肉、馬に乗っている者の肉、また、すべての自由人と奴隷との肉、小さき者と大いなる者との肉をくらえ」。 エゼキエル書では、勇士、地の君たち、雄羊、小羊、雄やぎ、雄牛などの肉を食い血を飲め、となっているが、ヨハネの黙示録では、「すべての自由人と奴隷」(6:15,13:16)、「小さき者と大いなる者」(11:13,13:16,19:5,20:12)が加えられている。マタイ24:28には、終末時、死骸のある所にわしが集まると述べられている。エゼキエル39:11-15には「ハモン・ゴグの谷」に山積みしている戦死者の肉を鳥獣が食べることになっている。 19節 なお見ていると、獣と地の王たちと彼らの軍勢とが集まり、馬に乗っているかたとその軍勢とに対して、戦いをいどんだ。 「地の王たち」とは、17:18,18:3の「地の王」すなわち、ローマの世俗主義に同調した権力者をさしている。「彼らの軍勢」(複数)がキリストの「軍勢」(単数)に対して戦いを挑んだ。「彼らの軍勢」は烏合の衆であった。 20節 しかし、獣は捕えられ、また、この獣の前でしるしを行って、獣の刻印を受けた者とその像を拝む者とを惑わしたにせ預言者も、獣と共に捕えられた。そして、この両者とも、生きながら、硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。 獣もにせ預言者(13:11,16:13,20:10)も敗北して捕らえられ、「硫黄の燃えている火の池」(20:10,14,21:8)に投げ込まれた。火と硫黄はソドムとゴモラに降り(創世記19:24,イザヤ30:33,エゼキエル38:22)、「燃えている火」は地獄(ゲヘナ)のことを思い起こさせる(マタイ5:22,マルコ9:43,ヤコブ3:6)。 21節 それ以外の者たちは、馬に乗っておられるかたの口から出るつるぎで切り殺され、その肉を、すべての鳥が飽きるまで食べた。 「それ以外の」一般兵卒は、直接キリストの口から出るつるぎ(1:16,2:16,19:15)で殺され、鳥類は肉を「飽きるまで食べた」(エゼキエル39:17,20)。 (2019/12/30)
[1] イザヤ63:1-5 「このエドムから来る者、 深紅の衣を着て、ボズラから来る者はだれか。 その装いは、はなやかに、 大いなる力をもって進み来る者はだれか」。 「義をもって語り、 救を施す力あるわたしがそれだ」。 「何ゆえあなたの装いは赤く、 あなたの衣は酒ぶねを踏む者のように赤いのか」。 「わたしはひとりで酒ぶねを踏んだ。 もろもろの民のなかに、 わたしと事を共にする者はなかった。 わたしは怒りによって彼らを踏み、 憤りによって彼らを踏みにじったので、 彼らの血がわが衣にふりかかり、 わが装いをことごとく汚した。 報復の日がわが心のうちにあり、 わがあがないの年が来たからである。 わたしは見たけれども、助ける者はなく、 怪しんだけれども、ささえる者はなかった。 それゆえ、わがかいながわたしを勝たせ、 わが憤りがわたしをささえた。
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