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ヨハネの黙示録16章

最後の七つの災い 神の怒りが極みに達する(15章-16章)

神の激しい怒りが満ちている七つの鉢のうち、最初の四つの鉢が傾けられた。
この時には異教徒だけが残っており、それらの苦難はすべて異教徒に対する懲罰となっている。
神の怒りを地にぶちまける(1)
1節 それから、大きな声が聖所から出て、七人の御使にむかい、「さあ行って、神の激しい怒りの七つの鉢を、地に傾けよ」と言うのを聞いた。
  「七つの鉢を、地に傾けよ」とは、七つの鉢の中にある内容を地へ注ぎだせとの意。神の怒りが水のように人間の上に流れるという表現は、詩編69:24,エレミヤ10:25,42:18,44:6,ダニエル9:11,ゼパニヤ3:8に見られる。

第一の鉢:獣のしるしを付ける者、獣の像を拝む者に悪性のはれ物ができる(2)
2節 そして、第一の者が出て行って、その鉢を地に傾けた。すると、獣の刻印を持つ人々と、その像を拝む人々とのからだに、ひどい悪性のでき物ができた。
  「ひどい悪性のでき物」有害かつ悪性のでき物(申命28:35)。でき物の災害がエジプト人に与えられたことが、出エジプト9:10-11に書かれている。

第二の鉢:海が死人の血のようになって海の生物がみんな死ぬ(3)
3節 第二の者が、その鉢を海に傾けた。すると、海は死人の血のようになって、その中の生き物がみな死んでしまった。
  「死人の血のようになって、その中の生き物がみな死んでしまった」水が血になって(詩編78:44)、魚が全滅したということも出エジプト7:17-21にある。このことすでに8:8-9にも述べられている。

第三の鉢:水が血に変わる(4-7)
4節 第三の者がその鉢を川と水の源とに傾けた。すると、みな血になった。
   今度は海水ではなく淡水が血に変じた。8:10では水の源に大きな星が落ちて、水の三分の一が血になったが、ここでは「みな」血に変わった。最後の審判では前のように保留付きのものではないのである。
5節 それから、水をつかさどる御使がこう言うのを、聞いた、「今いまし、昔いませる聖なる者よ。このようにお定めになったあなたは、正しいかたであります。
   ここでは「水をつかさどる御使」だけだが、14:18では「火を支配する」天使についても言及している。「今いまし、昔いませる」1:4にあるように「やがてきたるべき」が略されている。「聖なる者」15:4。「正しいかたであります」詩編119:137,145:17。
6節 聖徒と預言者との血を流した者たちに、血をお飲ませになりましたが、それは当然のことであります」。
   水が血に変わって、悪人がその血を飲まなければならなくなったのは、殉教者たちの霊の戦いが成就し、6:10の「血の報復」が実現されたとみることができる(19:2)。
7節 わたしはまた祭壇がこう言うのを聞いた、「全能者にして主なる神よ。しかり、あなたのさばきは真実で、かつ正しいさばきであります」。
  「祭壇がこう言う」とは6:10の祭壇の下にいる霊の声と解することができる。

第四の鉢:人間が太陽の火で焼かれる。それでも神を冒涜し、悔い改めない(8-9)
8節 第四の者が、その鉢を太陽に傾けた。すると、太陽は火で人々を焼くことを許された。
   第四の鉢は炎熱をもたらした。
9節 人々は、激しい炎熱で焼かれたが、これらの災害を支配する神の御名を汚し、悔い改めて神に栄光を帰することをしなかった。
  「悔い改めて神に栄光を帰することをしなかった」11:13の大地震の時には、人々は神に栄光を帰したが、今回は悔い改める者がなかった(9:10,16:11,21)。

七つの鉢のうち、最後の三つの鉢が傾けられ、三つの苦難が人間界にもたらされた。
第五の鉢:獣の国が闇におおわれる。激しい苦痛(10-11)
10節 第五の者が、その鉢を獣の座に傾けた。すると、獣の国は暗くなり、人々は苦痛のあまり舌をかみ、
   第五の鉢は暗黒と苦しみをもたらした(イザヤ8:22,出エジプト10:21)。人々は「苦痛のあまり舌をかみ」とあるが、これは次節の「苦痛とでき物」のためだった。
11節 その苦痛とでき物とのゆえに、天の神をのろった。そして、自分の行いを悔い改めなかった。
  「天の神をのろった」の原意は「神を汚した」である。ここでも悔い改める者がなかった。

第六の鉢:しるしを行う3匹の悪霊、ハルマゲドンに王を集める(12-16)
12節 第六の者が、その鉢を大ユウフラテ川に傾けた。すると、その水は、日の出る方から来る王たちに対し道を備えるために、かれてしまった。
   第六の鉢がユウフラテ川に傾けられると、小羊の軍と最後の決戦をするため、全世界の王たちが悪魔によってハルマゲドンに集められた。ユウフラテ川は、最東端の国境である。「日の出る方から来る王たち」はパルチヤの将軍たちをさしているが、彼らは神とキリストとに反抗する者だった(詩編2:2)。
13節 また見ると、龍の口から、獣の口から、にせ預言者の口から、かえるのような三つの汚れた霊が出てきた。
  「にせ預言者」13:11以下の第二の獣。ここで明らかに「にせ預言者」と呼ばれている(19:20,20:10,マタイ24:24)。彼は「獣」(13:1,11)すなわちローマ帝国の手先となって人々に皇帝礼拝を強いた者をさしている。「かえるのような三つの汚れた霊」とは、エジプト脱出の時のかえるの災害に関係している(出エジプト8:1以下,詩編78:45,105:30)。ペルシャの宗教では、かえるは疫病と死の源であると考えられ、それはまた悪神アーリマンの使いであった。汚れた霊または偽りを言う霊が人の口から出ることは、1列王22:22-23の故事によるものと思われる。
14節 これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを召集したが、それは、全能なる神の大いなる日に、戦いをするためであった。
   これらの「悪霊の霊」は、13:13のような「しるしを行う」霊であった。「全能なる神の大いなる日」は、6:17の「御怒りの大いなる日」に相当する(2ペテロ3:10-12)。
15節 (見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。)
   (挿入句で、3:3の前句の次、または3:18の前にあったものと言われている。)「盗人のように来る」1テサロニケ5:2。「着物を身に着けている者」3:18、不信者の魂は裸体のままで暴露されている(2コリント5:3)。「さいわいである」ヨハネの黙示録の七福の一つ(1:3,14:13,19:9,20:6,22:7,14)。
16節 三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に、王たちを召集した。
  「ハルマゲドン」はマゲドンの山またはメギドンの山の意で、メギド(ン)は古戦場として知られている(士師記5:19-20,2列王9:27,23:29-30)。またメギドンの山とはカルメル山をさすものとも言われているが明らかではない。この山はイザヤ14:13の神話的な「北の果なる集会の山」であるという説もある。

第七の鉢:大地震 島も山も消える(17-21)
第七の鉢が傾けられた結果、雷鳴や雹や大地震によって世界の終末が到来した。
17節 第七の者が、その鉢を空中に傾けた。すると、大きな声が聖所の中から、御座から出て、「事はすでに成った」と言った。
  「事はすでに成った」21:6にも同じ声が聞こえているが、複数形になっている。それは「すべてが成就した」とも解せられる(ヨハネ19:30)。
18節 すると、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴とが起り、また激しい地震があった。それは人間が地上にあらわれて以来、かつてなかったようなもので、それほどに激しい地震であった。
   この時の地震が空前のものであったことを強調している(ダニエル12:1,マルコ13:19)。 19節 大いなる都は三つに裂かれ、諸国民の町々は倒れた。神は大いなるバビロンを思い起し、これに神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた。
  「大いなる都」(1:8,ダニエル4:30)すなわちローマは「三つに裂かれ」た。これはゼカリヤ14:4-5にあるように、完全な破壊の意である。「神は・・・・思い起し」エゼキエル3:20,18:22,24,使徒10:31。「バビロン」はローマ。
20節 島々はみな逃げ去り、山々は見えなくなった。
  「島々・・・・山々」6:14,20:11。
21節 また一タラントの重さほどの大きな雹が、天から人々の上に降ってきた。人々は、この雹の災害のゆえに神をのろった。その災害が、非常に大きかったからである。
  「一タラントの重さほどの大きな雹」は神話的なもので、8:7の「血のまじった雹」を思い起こさせる。昔のエジプトの王は雹その他の災害のために悔い改めたが(出エジプト9:25-27)、終末の時には、逆に人々は神を汚した。

(2019/12/28)


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