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ヨハネの黙示録10章

七人の天使がラッパ(士気を上げる音)を吹く(8章6節-11章19節)

10:1-11:14は第7章と同じように、一種の幕間の劇であって、直接主題に関係していない。
天使に渡された小さな巻物を食べた。腹には苦いが、口には甘い(1-11)
七つの雷が語ったことを封印して書かないようにとの命を受ける(1-4)
第七のラッパによって世界が完成に至る(5-7)
苦い巻物を食べたこと(8-11)
1節 わたしは、もうひとりの強い御使が、雲に包まれて、天から降りて来るのを見た。その頭に、にじをいただき、その顔は太陽のようで、その足は火の柱のようであった。
  「強い御使」(5:2,18:21)へブル言語の発音の類似などにより、天使ガブリエル(ルカ1:19)であろうと言われている。「その顔は太陽のようで」(1:16)、「その足は火の柱のようであった」(1:15,出エジプト14:19,24)。
2節 彼は、開かれた小さな巻物を手に持っていた。そして、右足を海の上に、左足を地の上に踏みおろして、
  「小さな巻物」の原語は一語であって、食べることができるほどの大きさ。5:1の「巻物」とは区別されるべき。5:では巻物を持っておられるのは「御座にいますかた」であるから10:1の御使いも神またはキリストご自身であるとの説もある。この巻物は「開かれた」巻物であって、封じられた巻物(5:1)ではなかった。「右足を海の上に、左足を地の上に踏みおろして」いる天使であるから、一種の巨人が現れたのである。これは陸海両方を支配する天使であった。
3節 ししがほえるように大声で叫んだ。彼が叫ぶと、七つの雷がおのおのその声を発した。
  「七つの雷」とは詩編29:5-9 [1] にある神の声の七つの働きを象徴するものであると言われ、この神の声は、その告示の内容を書き留めずにそれを封印せよと命じた。
4節 七つの雷が声を発した時、わたしはそれを書きとめようとした。すると、天から声があって、「七つの雷の語ったことを封印せよ。それを書きとめるな」と言うのを聞いた。
   世界の終末に起こるべきことは細部にわたって定められ、しかも日時は切迫しているが、今はそれを公表する時期ではないというのである(ダニエル8:26,12:4 [2] ,9)。何かの理由で、雷が語った内容は第一の雷から第七の雷に至るまで、現在のヨハネの黙示録においてはまったく知らされていない。
5節 それから、海と地の上に立っているのをわたしが見たあの御使は、天にむけて右手を上げ、
  「天にむけて右手を上げ」この動作は神をさして誓うことを意味している(創世記14:22,申命記32:40,出エジプト6:8,ダニエル12:17)。
6節 天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを造り、世々限りなく生きておられるかたをさして誓った、「もう時がない。
  「世々限りなく生きておられるかたをさして誓った」ダニエル12:7。「もう時がない。」第三の災い(11:14)の内容は隠されているが、その出現は間近に迫っている(ハバクク2:3,へブル10:37)。
7節 第七の御使が吹き鳴らすラッパの音がする時には、神がその僕、預言者たちにお告げになったとおり、神の奥義は成就される」。
   その内容は「神の奥義」であって、それは神の僕である預言者すなわち、キリストの僕に明らかにされている(アモス3:7)。
8節 すると、前に天から聞えてきた声が、またわたしに語って言った、「さあ行って、海と地との上に立っている御使の手に開かれている巻物を、受け取りなさい」。
  「前に天から聞えてきた声」は4節の「天から声」をさす。「開かれている巻物」開かれているので巻物の上の文字は見えていただろう。
9節 そこで、わたしはその御使のもとに行って、「その小さな巻物を下さい」と言った。すると、彼は言った、「取って、それを食べてしまいなさい。あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い」。
  「それを食べてしまいなさい」巻物を食べることは、エゼキエル2:8,3:3による。エゼキエルの場合、それは「口に甘いこと蜜のようであった」が、「腹には苦い」と言っていない。しかしエゼキエルのの巻物には「悲しみと、嘆きと、災の言葉」が書かれていたので、それは腹には苦かったに違いない。
10節 わたしは御使の手からその小さな巻物を受け取って食べてしまった。すると、わたしの口には蜜のように甘かったが、それを食べたら、腹が苦くなった。
   甘いというのは、神の真理の勝利を知らせる告知が伝えられたからであって、苦いというのは、その最後の勝利に至るまで多くの苦難を経なければならないからである。
11節 その時、「あなたは、もう一度、多くの民族、国民、国語、王たちについて、預言せねばならない」と言う声がした。
  「と言う声がした」の原意は、「彼らは言った」であるが、この「彼ら」とは、天使と雷をさすものと解される。ヨハネの預言は全世界の人々の運命にかかわるものであった。「多くの民族、国民、国語」ダニエル3:4,7:14には「諸民、諸族、諸国語の者」とある。「王たち」は17:10,12の王たち、すなわちローマ皇帝をさすものと考えられる。

(2019/12/24)


[1]  詩編29:5-9
 「主のみ声は香柏を折り砕き、
  主はレバノンの香柏を折り砕かれる。
  主はレバノンを子牛のように踊らせ、
  シリオンを若い野牛のように踊らされる。
  主のみ声は炎をひらめかす。
  主のみ声は荒野を震わせ、
  主はカデシの荒野を震わされる。
  主のみ声はかしの木を巻きあげ、また林を裸にする。
  その宮で、すべてのものは呼ばわって言う、
  「栄光」と。」

[2]  ダニエル12:4
 「ダニエルよ、あなたは終りの時までこの言葉を秘し、この書を封じておきなさい。多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう」。

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