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伝道の書9章

不安と懐疑(7:15-10:1)

不可知論8章からの続き
人は神の己に対する態度を遂に理解することはできない(1)。正しき者にも正しからざる者にも、ひとしく運命は臨む。そして遂に一様に死んでしまう(2,3)。
1節 わたしはこのすべての事に心を用いて、このすべての事を明らかにしようとした。すなわち正しい者と賢い者、および彼らのわざが、神の手にあることを明らかにしようとした。愛するか憎むかは人にはわからない。彼らの前にあるすべてのことは空である。
   「愛するか憎むか」は文脈に従えば、「だが、神が愛するか憎むか」となる。「彼らの前にあるすべてのことは空である」原文の直訳では「すべてのことも」であり、ここは人間の無知について述べているので、「神が愛するか憎むかは人にはわからない。否、彼の上に起る事柄も一切わからない」となる。わたしはこのいっさいを心に心に留め、正しい人も知恵のある人も彼らの働きも神の計画の中にあることを明らかにしようとしたが、神がその人のことを愛するか憎むかは人にはわからない。否、彼の上に起る事柄も一切わからない。
2節 すべての人に臨むところは、みな同様である。正しい者にも正しくない者にも、善良な者にも悪い者にも、清い者にも汚れた者にも、犠牲をささげる者にも、犠牲をささげない者にも、その臨むところは同様である。善良な人も罪びとも異なることはない。誓いをなす者も、誓いをなすことを恐れる者も異なることはない。
   善人でも悪人でも、信仰がある人もない人も、神をののしる者も神を敬う者も、どんな人も、同じ摂理で動かされて異なることはない。
3節 すべての人に同一に臨むのは、日の下に行われるすべての事のうちの悪事である。また人の心は悪に満ち、その生きている間は、狂気がその心のうちにあり、その後は死者のもとに行くのである。
   すべての人に同じ結末が来るということ、これは世の中でおこなわれるすべての事のうちで最も不公平なことだ。だからこそ、人の心は悪にみち、生きている間、常軌を逸した道を歩み、死人のところに行く。「狂気」人生は無意味であり、この世を支配する道徳律などあり得ないという意識から発生する無軌道な生活を描くためこの語を用いている(1:17,2:12,7:25,10:13)。

至上善(4-12)
やがて死ぬべき人間は、生きることが許されている間に生を楽しむがよい。
4節 すべて生ける者に連なる者には望みがある。生ける犬は、死せるししにまさるからである。
   すべて生きている人にだけ希望がある。「死んだライオンより、生きている犬のほうがましだ」と言われるとおりだ。「生ける犬」犬は卑しい動物(1サムエル24:14)、「死せるしし」ししは高貴な動物(創世記49:9)。
5節 生きている者は死ぬべき事を知っている。しかし死者は何事をも知らない、また、もはや報いを受けることもない。その記憶に残る事がらさえも、ついに忘れられる。
   生きている者には、少なくとも自分は死ぬという自覚がある。しかし、死んだ者は何一つわからない。報いを受けることもなく彼らの呼び名も忘れられる。
6節 その愛も、憎しみも、ねたみも、すでに消えうせて、彼らはもはや日の下に行われるすべての事に、永久にかかわることがない。
   彼らの愛も、ねたみ憎んだことも、とうの昔に消えてなくなり、もはやこの地上には永遠に受ける分はない。
7節 あなたは行って、喜びをもってあなたのパンを食べ、楽しい心をもってあなたの酒を飲むがよい。神はすでに、あなたのわざをよみせられたからである。
   さあ、喜んであなたのパンを食べ、愉快にあなたの酒を飲め。神はあなたの行いを喜んでおられる。
8節 あなたの衣を常に白くせよ。あなたの頭に油を絶やすな。
   いつもあなたは白い衣を着、頭にはかぐわしい油を絶やしてはならない。
9節 日の下で神から賜わったあなたの空なる命の日の間、あなたはその愛する妻と共に楽しく暮すがよい。これはあなたが世にあってうける分、あなたが日の下で労する労苦によって得るものだからである。
   この世に与えられた空しい生命の日を愛する女性と一緒に楽しみなさい。神が下さった妻は、地上での労苦に対する最大の報酬だからです。
10節 すべてあなたの手のなしうる事は、力をつくしてなせ。あなたの行く陰府には、わざも、計略も、知識も、知恵もないからである。
   あなたの手もとにあるなすべきことはみな、りっぱに仕上げなさい。あなたが行こうとしている死後の世界では、働きも企ても知識も知恵もないのだから。
11節 わたしはまた日の下を見たが、必ずしも速い者が競走に勝つのではなく、強い者が戦いに勝つのでもない。また賢い者がパンを得るのでもなく、さとき者が富を得るのでもない。また知識ある者が恵みを得るのでもない。しかし時と災難はすべての人に臨む。
   私は再び今の世を見て、足の速い人が必ずしも競走で勝つとは限らず、強い人が必ずしも戦いに勝つわけでもなく、知恵ある人が貧しい暮らしをし、実力があるのに認められない人がいることを知った。あらゆることが偶然の組み合わせであり、すべては時と機会とによって決まるのだ。
12節 人はその時を知らない。魚がわざわいの網にかかり、鳥がわなにかかるように、人の子らもわざわいの時が突然彼らに臨む時、それにかかるのである。
   いつ運の悪さに見舞われるかを知っている人はいない。人はみな、網にかかった魚、罠にかかった鳥のようです。

ある知者の場合(13-10:1)
かつてコヘレトは知恵と富とを併せ持つことを可とした(7:11)。ここではひとりの貧しい知者が、その知恵をもって町を救ったにもかかわらず、人々に顧みられていない。
13節 またわたしは日の下にこのような知恵の例を見た。これはわたしにとって大きな事である。
   人の世の知恵についてこのようなことを見た。それはわたしにとって深く印象に残っていることである。
14節 ここに一つの小さい町があって、そこに住む人は少なかったが、大いなる王が攻めて来て、これを囲み、これに向かって大きな雲梯を建てた。
   人口の少ない町があり、そこに強い王が大軍を率いて攻めて来て、包囲して高いとりでを建てた。
15節 しかし、町のうちにひとりの貧しい知恵のある人がいて、その知恵をもって町を救った。ところがだれひとり、その貧しい人を記憶する者がなかった。
   ところが、その町に、貧しい知恵のある者がいて、知恵を用いてその町を解放した。しかし、後になって、誰ひとり彼のことを記憶しなかった。
16節 そこでわたしは言う、「知恵は力にまさる。しかしかの貧しい人の知恵は軽んぜられ、その言葉は聞かれなかった」。
   知恵は力にまさるが、その人が貧しければさげすまれ、彼が何を言っても聞かれない。
17節 静かに聞かれる知者の言葉は、愚かな者の中のつかさたる者の叫びにまさる。
   しかし、そうは言うものの、知恵ある人の静かなことばは、愚かな支配者のどなり散らすことばよりは、人々に聞かれる。
18節 知恵は戦いの武器にまさる。しかし、ひとりの罪びとは多くの良きわざを滅ぼす。
   知恵は武器にまさるが、たったひとりの罪人が多くの良い物事を全部をだめにする。


(2020/05/26)