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伝道の書5章

神前における注意(1-7)
礼拝について(1-3)
1節 神の宮に行く時には、その足を慎むがよい。近よって聞くのは愚かな者の犠牲をささげるのにまさる。彼らは悪を行っていることを知らないからである。
  「その足を慎む」(出エジプト3:5 [1] )、「近よって聞くのは・・・」(1サムエル15:22 [2] )、神殿に入るときは、そこが聖なる場所であることを覚え、耳をすまして神の言葉を聞け。そうすることは愚かな者たちがいけにえを献げて見せかけの信仰を示すのにまさる。
2節 神の前で軽々しく口をひらき、また言葉を出そうと、心にあせってはならない。神は天にいまし、あなたは地におるからである。それゆえ、あなたは言葉を少なくせよ。
「神は天にいまし、あなたは地におる」ユダヤ教後期の思想では、神と人とのあいだには非常な距離があった(ヨブ22:11-14 [3] )。「言葉を少なくせよ」(マタイ6:7-8 [4] )、 神の前で軽々しく口をひらいてはならない。神は天におられ、地にいる私たちの話すことを聞くので、言葉数はできるだけ少なくすべきだ。
3節 夢は仕事の多いことによってきたり、愚かなる者の声は言葉の多いことによって知られる。
   昔から夢の多いのは五臓六腑の疲れによるといわれ、いたずらに言葉の多いのは愚者の祈りといわれた。

誓願について(4-7)
4節 あなたは神に誓いをなすとき、それを果すことを延ばしてはならない。神は愚かな者を喜ばれないからである。あなたの誓ったことを必ず果せ。
   神に何かすること誓ったときはすぐに行いなさい。神は愚かな人間を喜ばないから。神との約束はどんなことがあっても必ず果たせ。(申命23:21-23 [5] )
5節 あなたが誓いをして、それを果さないよりは、むしろ誓いをしないほうがよい。
   何かをすると誓ってしないより、初めから誓わないほうがずっと良い。
6節 あなたの口が、あなたに罪を犯させないようにせよ。また使者の前にそれは誤りであったと言ってはならない。どうして、神があなたの言葉を怒り、あなたの手のわざを滅ぼしてよかろうか。
   誓ったことを果たさないと、口で罪を犯すことになる。神の使者に誓いを立てたのは間違いだったと弁解してならない。それを聞いて神は怒って、あなたの繁栄を奪い去るかもしれないのだから。「使者」には三つの解釈がある。1)神自身を意味する(神に対する畏敬のため間接的に呼ぶ)。2)神の代表者という意味で預言者(ハガイ1:13)、祭司(マラキ2:7)。3)誓願を書きつけたり、それを取り立てたりする神殿の使者。
7節 夢が多ければ空なる言葉も多い。しかし、あなたは神を恐れよ。
   夢ばかり見て実行しないと、空しいことばが多くなり滅びを招くことになる。そうならないように神を恐れなさい。

官僚と地主の腐敗(8-9)
8節 あなたは国のうちに貧しい者をしえたげ、公道と正義を曲げることのあるのを見ても、その事を怪しんではならない。それは位の高い人よりも、さらに高い者があって、その人をうかがうからである。そしてそれらよりもなお高い者がある。
   「それらよりもなお高い者」複数形が用いられているので役人のことと思われる。貧しい人が金持ちに虐げられ、国中で正義が踏みにじられているのを見ても、別に驚くにあたらない。どの役人にも上役がいて、その上にさらに高官がいるから。それが国の政治の仕組みだ。
   
9節 しかし、要するに耕作した田畑をもつ国には王は利益である。
   しかし、耕作した田畑を持つ国には、全体を治める王が立てらる。その王が国のために献身するなら国を混乱から救うことができる。

蓄財の虚妄(10-20)
蓄財は満足を与えない(10-12)
10節 金銭を好む者は金銭をもって満足しない。富を好む者は富を得て満足しない。これもまた空である。
   金銭を愛する者は、これで満足だということが決してない。富を愛する者は、どんなに富が増えても満足することがない。なんと愚かなことか。
11節 財産が増せば、これを食う者も増す。その持ち主は目にそれを見るだけで、なんの益があるか。
   財産が増えれば、それに応じて支出も多くなる。彼らは財産が増え減るのを眺めていることしかできない。

蓄財はその持ち主をそこなう(13-17)
12節 働く者は食べることが少なくても多くても、快く眠る。しかし飽き足りるほどの富は、彼に眠ることをゆるさない。
   汗水流して働く人は、満腹していようが腹をすかしていようが、ぐっすり眠ることができる。しかし、金満家は不安につきまとわれ、不眠に悩まされる。
13節 わたしは日の下に悲しむべき悪のあるのを見た。すなわち、富はこれをたくわえるその持ち主に害を及ぼすことである。
   私はまた、世の中には深刻な問題があるのに気づいた。富が富を蓄える持ち主に害を及ぼすということである。
14節 またその富は不幸な出来事によってうせ行くことである。それで、その人が子をもうけても、彼の手には何も残らない。
   富を増やそうと、せっかくの蓄えた富を危険な投資に使い、子どもに残す財産もなくなってしまうという現実である。
15節 彼は母の胎から出てきたように、すなわち裸で出てきたように帰って行く。彼はその労苦によって得た何物をもその手に携え行くことができない。
   その金持ちは、裸で生まれたばかりの赤子のように無一文に戻り、どんなに働いても最後には手に入れたものを全部失い、労苦して得たものを持って行くことができない。
16節 人は全くその来たように、また去って行かなければならない。これもまた悲しむべき悪である。風のために労する者になんの益があるか。
   結局人は何も持たずに生まれて来たように、何も持たずに死ぬ(ヨブ1:21 [6] )。労苦することは風を追うようなもので、なんの益もない。
17節 人は一生、暗やみと、悲しみと、多くの悩みと、病と、憤りの中にある。
   人は生涯を暗い気持ちで、失意と挫折感、病に苦しみ、憤りの中に生きることになる。

神の賜物として幸福を楽しめ(18-20)
18節 見よ、わたしが見たところの善かつ美なる事は、神から賜わった短い一生の間、食い、飲み、かつ日の下で労するすべての労苦によって、楽しみを得る事である。これがその分だからである。
   私が知った良いことは、神から賜った短い一生の間に、おいしい物を食べて飲み、与えられた仕事がどのようなものであれ、それを楽しむことである。それが置かれた立場に応じた分だからである。
19節 また神はすべての人に富と宝と、それを楽しむ力を与え、またその分を取らせ、その労苦によって楽しみを得させられる。これが神の賜物である。
   神はすべての人に富と宝与え、それを楽しむ力を与え、置かれた立場に応じた分を取らせた。労苦を楽しみ、与えられた人生に満足することこそ神からの賜物である。
20節 このような人は自分の生きる日のことを多く思わない。神は喜びをもって彼の心を満たされるからである。
   このように理解して生きる人は、神から喜びを与えられているので、人生を暗い気持ちで振り返る必要などない。


(2020/05/26)


[1]  出エジプト
    3:5神は言われた、「ここに近づいてはいけない。足からくつを脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる地だからである」。

[2]  1サムエル
   15:22サムエルは言った、
    「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、
     燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。
     見よ、従うことは犠牲にまさり、
     聞くことは雄羊の脂肪にまさる。

[3]  ヨブ
   22:11あなたの光は暗くされ、
     あなたは見ることができない。
     大水はあなたをおおうであろう。
   22:12神は天に高くおられるではないか。
     見よ、いと高き星を。いかに高いことよ。
   22:13それであなたは言う、『神は何を知っておられるか。
     彼は黒雲を通して、さばくことができるのか。
   22:14濃い雲が彼をおおい隠すと、
     彼は見ることができない。
     彼は天の大空を歩まれるのだ』と。

[4]  マタイ
   6:7また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。
   6:8だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。

[5]  申命
   23:21あなたの神、主に誓願をかける時、それを果すことを怠ってはならない。あなたの神、主は必ずそれをあなたに求められるからである。それを怠るときは罪を得るであろう。
   23:22しかし、あなたが誓願をかけないならば、罪を得ることはない。
   23:23あなたが口で言った事は守って行わなければならない。あなたが口で約束した事は、あなたの神、主にあなたが自発的に誓願したのだからである。

[6]  ヨブ
   1:21そして言った、
    「わたしは裸で母の胎を出た。
     また裸でかしこに帰ろう。
     主が与え、主が取られたのだ。
     主のみ名はほむべきかな」。