7章
9章
伝道の書8章
不安と懐疑(7:15-10:1) 王の前における注意(1-9) 当時外国の宮廷とパレスチナの貴族との間は微妙な関係にあった。貴族の子弟を教える知者としての言葉(箴言14:35,16:2)。 1節 だれが知者のようになり得よう。だれが事の意義を知り得よう。人の知恵はその人の顔を輝かせ、またその粗暴な顔を変える。 宮廷に仕える者は感情をありのままに表してはならない。いかなる場合も平静で穏和なのがセンスのある態度である。知恵を身につけて、物事の意義を的確に把握して説明できる能力があったなら、どんなにすばらしいことか。知恵はその人の顔を輝かし、和らげる。 2節 王の命を守れ。すでに神をさして誓ったことゆえ、驚くな。 どんないやなことであっても、王に従いなさい。神に誓ったことから逃げてはいけない。 3節 事が悪い時は、王の前を去れ、ためらうな。彼はすべてその好むところをなすからである。 悪事に加担するな。 しかし王の前からあわてて退出するな [1] (軽々しく自分の地位を捨てぬがよい。これは反抗を意味する)。むしろ、王の気に入らぬことは言い張らぬがよい。彼は自分の望むままに何でもするからである。 4節 王の言葉は決定的である。だれが彼に「あなたは何をするのか」と言うことができようか。 王のことばには権威があるので、それに逆らったり疑問を差しはさんだりできる者はいない。 5節 命令を守る者は災にあわない。知者の心は時と方法をわきまえている。 従順な者は罰せられることがない。知恵ある者は、自分のことばを実行する時と方法とを知っている。 6節 人の悪が彼の上に重くても、すべてのわざには時と方法がある。 困難が重くのしかかっていても、すべてのことに時と方法がある。「人の悪」人間固有の弱さ。「重く」大きい(はびこるという意味もある)。人間固有の弱さは王といえどもまぬがれないので、賢い廷臣は、むしろ好機と捉えて適当な方法によって志を行うのがよい。 7節 後に起る事を知る者はない。どんな事が起るかをだれが彼に告げ得よう。 しかし来たるべき運命に対して、人は無知無力である。賢い廷臣であっても予期できないことが身に降りかかるのを避けることはできない 8節 風をとどめる力をもつ人はない。また死の日をつかさどるものはない。戦いには免除はない。また悪はこれを行う者を救うことができない。 「風をとどめる力」風は霊とも訳すことができるから、死を意味すると解する説もある。「戦いには免除はない」戦いに身代わりを出すことはできない。死ぬ場合も同様である。「また悪はこれを行う者を救うことができない」悪は必ずしもそれを行う者に繁栄を約束しない。悪行は破滅をもたらすことも事実だ。だれも、霊が体から離れるのをとどめることはできない。自分の死ぬ日を決めることもできない。この暗黒の戦いを免れることは絶対にできない。その場に臨んだら、どんなにじたばたしても始まらない。 9節 わたしはこのすべての事を見た。また日の下に行われるもろもろのわざに心を用いた。時としてはこの人が、かの人を治めて、これに害をこうむらせることがある。 私はこれらのすべて行いを見て、人が人を支配して互いに傷つけ合っていることを考えた。 善人善果を得ず悪人悪果を得ず。知者を悩ました報償の問題(10-15) 10節 またわたしは悪人の葬られるのを見た。彼らはいつも聖所に出入りし、それを行ったその町でほめられた。これもまた空である。 悪人が葬られ、墓地から帰って来るときには、友人たちは故人のした悪事をすっかり忘れ、それどころか、その男は生前に多くの犯罪を重ねた当の町で、ほめそやされる。なんと空しいことだろう。 11節 悪しきわざに対する判決がすみやかに行われないために、人の子らの心はもっぱら悪を行うことに傾いている。 神はすぐに罪人を罰しないので、人々は悪いことをしても別に怖くないと思っている。 12節 罪びとで百度悪をなして、なお長生きするものがあるけれども、神をかしこみ、み前に恐れをいだく者には幸福があることを、わたしは知っている。 罪人が百度も罪を犯しても、長生きしている。しかし、私は神を敬っている人のほうが幸せであることを知っている。 13節 しかし悪人には幸福がない。またその命は影のようであって長くは続かない。彼は神の前に恐れをいだかないからである。 悪者どもには幸福がない。彼らは神を敬わないので、その一生は影のように早く過ぎ去り長い人生を送ることができない。 14節 地の上に空な事が行われている。すなわち、義人であって、悪人に臨むべき事が、その身に臨む者がある。また、悪人であって、義人に臨むべき事が、その身に臨む者がある。わたしは言った、これもまた空であると。 しかし、この地上では空しいことが起こっている。悪い者の行いに対する報いを正しい人がその身に受け、逆に、正しい人の行いに対する報いを悪人がその身に受けることがある。これもまた空しいことだ。 15節 そこで、わたしは歓楽をたたえる。それは日の下では、人にとって、食い、飲み、楽しむよりほかに良い事はないからである。これこそは日の下で、神が賜わった命の日の間、その勤労によってその身に伴うものである。 そこで私は、おもしろおかしく一生を送ろうと決心した。この世では、食べて、飲んで、愉快にやること以外に良いことはない。この幸福は神が世人に与えいる一生の労苦に添えてくださるものだ。 不可知論(16-9:3) この世においてなされる事柄の意味を知ろうと試みることは無益である。 16節 わたしは心をつくして知恵を知ろうとし、また地上に行われるわざを昼も夜も眠らずに窮めようとしたとき、 私は一心に知恵を尋ね求めて、昼も夜も眠らずに地上で行われる人の活動を観察してみたが、 17節 わたしは神のもろもろのわざを見たが、人は日の下に行われるわざを窮めることはできない。人はこれを尋ねようと労しても、これを窮めることはできない。また、たとい知者があって、これを知ろうと思っても、これを窮めることはできないのである。 すべては神のみ業であることがわかった。人は労苦して探し求めても見出すことができない。自分は何でも知っていると言う知恵のかたまりのような人でも、実はわずかのことさえ知らないのだ。 (2020/05/26)
[1] KJVの伝道の書8:3 Be not hasty to go out of his sight: stand not in an evil thing; for he doeth whatsoever pleaseth him.