5章
7章
伝道の書6章
富と運命について(1-12) 再び富者について。(1-6) 1節 わたしは日の下に一つの悪のあるのを見た。これは人々の上に重い。 「人々の上に重い」重大な事柄、あるいは、珍しくもないことだがという意味。ここでは至るところに、悲しい不幸が見られるということ。 2節 すなわち神は富と、財産と、誉とを人に与えて、その心に慕うものを、一つも欠けることのないようにされる。しかし神は、その人にこれを持つことを許されないで、他人がこれを持つようになる。これは空である。悪しき病である。 「しかし神は、その人にこれを持つことを許されないで、他人がこれを持つようになる」跡取りがなく、早世したことを暗示する。神から富と名誉を与えられ、欲しいものは何でも手に入る身分だが、人生を楽しむだけの健康に恵まれず、早死にして、全財産を他人の手に渡すことになる。これは空しいことで悲しむべきいことだ。 3節 たとい人は百人の子をもうけ、また命長く、そのよわいの日が多くても、その心が幸福に満足せず、また葬られることがなければ、わたしは言う、流産の子はその人にまさると。 しかし、百人の子に恵まれ、長生きしても、わずかの富もなく楽しむことができず、葬式さえ出せなかったとしたら、この人は生まれて来なかったほうがよかったかもしれない。「また葬られることがなければ」不慮の死に方をしたり、正しい葬られ方をされなかった場合は、神に呪われたものとされた(2列王9:30- [1] )。 4節 これはむなしく来て、暗やみの中に去って行き、その名は暗やみにおおわれる。 たとえその誕生が喜ばれず、闇から闇に葬られ、名前さえつけてもらえず、 5節 またこれは日を見ず、物を知らない。けれどもこれは彼よりも安らかである。 その存在さえ知られない死産の子のほうが、みじめな老人になるよりずっとましである。 6節 たとい彼は千年に倍するほど生きても幸福を見ない。みな一つ所に行くのではないか。 何千年生きたとしても、満足することがなければ、生きていることに何の価値もない。どうあっても死ぬと同じところに行くのだ。 知恵よりも幸福を。富も当てにならないが、知恵のも限界がある。(7-9) 7節 人の労苦は皆、その口のためである。しかしその食欲は満たされない。 「その口」欲望を象徴する。すべての人の労苦はその人の欲望のためである。しかもその欲望は決して満たされることはない。 8節 賢い者は愚かな者になんのまさるところがあるか。また生ける者の前に歩むことを知る貧しい者もなんのまさるところがあるか。 知恵のあるものも愚かな者も生活するために人生をついやすがこれで満足ということはない。しかし、貧しくても知恵ある人は、ずっと良い生活をしている。 9節 目に見る事は欲望のさまよい歩くにまさる。これもまた空であって、風を捕えるようなものである。 手近な楽しみは、遠い快楽を追い求めるよりもずっと良い。これも結局は、つまらぬ、らちもないことだが。 人は神と争うことはできない。すべてのものは神が予め定めた計画のもとにあるのだから、与えられた性格と運命に従うしかない。(10-12) 10節 今あるものは、すでにその名がつけられた。そして人はいかなる者であるかは知られた。それで人は自分よりも力強い者と争うことはできない。 存在するものはすでにその運命が定められているのだから、人もその在り方は決まっている。彼は人間以上のものにもなり得ず。それ以下のものでもない。あるがままを受け入れて生きる他ない。今更、自分より力強い神と争っても始まらないではないか。 11節 言葉が多ければむなしい事も多い。人になんの益があるか。 しゃべればしゃべるほど口にすることばの意味が薄れて空しさが増す。だから、全然しゃべらないほうがましである。 12節 人はその短く、むなしい命の日を影のように送るのに、何が人のために善であるかを知ることができよう。だれがその身の後に、日の下に何があるであろうかを人に告げることができるか。 「むなしい命の日を影のように送る」(ヨブ8:9 [2] , 詩編144:4 [3] )。 短くむなしい人生を、どのように過ごすのが最善なのかはだれにもわからない。死後のことまで考えると、何が最善かを知ることはできない。将来のことがわかる人は一人もいない。 (2020/05/26)
[1] 2列王 9:30エヒウがエズレルにきた時、・・・ 9:35しかし彼らが彼女を葬ろうとして行って見ると、頭蓋骨と、足と、たなごころのほか何もなかったので、・・・ 9:37イゼベルの死体はエズレルの地で、糞土のように野のおもてに捨てられて、だれも、これはイゼベルだ、と言うことができないであろう』」。
[2] ヨブ 8:9われわれはただ、きのうからあった者で、 何も知らない、 われわれの世にある日は、影のようなものである。
[3] 詩編 144:4人は息にひとしく、 その日は過ぎゆく影にひとしいのです。