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伝道の書7章

箴言(1-14)
よりよきものについて(1-12) 「何がひとのために善であるか」(6:12)に関連して。
1節 良き名は良き油にまさり、死ぬる日は生るる日にまさる。
   名声を得ることは、良い香油(産湯の後で嬰児に塗る油)より値打ちがあり、死ぬ日(名声)は生まれた日(良き油)より大切である。
2節 悲しみの家にはいるのは、宴会の家にはいるのにまさる。死はすべての人の終りだからである。生きている者は、これを心にとめる。
   「宴会の家」結婚披露宴に顔を出すより、「悲しみの家」葬式に列席するほうがよい。死はすべての人に訪れるので、生きているうちに死について考えるのは良いことだ。
3節 悲しみは笑いにまさる。顔に憂いをもつことによって、心は良くなるからである。
   悲しみは笑いにまさっている。悲しみは、私たちの心から不純物を取り除く効果があるからだ。「顔に憂いをもつこと」思慮ある心のようす。「心は良くなる」思慮を増す。
4節 賢い者の心は悲しみの家にあり、愚かな者の心は楽しみの家にある。
   知恵ある者は死(「悲しみの家」)について考えるが、愚か者はどうしたら愉快(「宴会の家」)に過ごせるかだけを考える。
5節 賢い者の戒めを聞くのは、愚かな者の歌を聞くのにまさる。
   愚か者からちやほやされる(「歌を聞く」)より、知恵ある者から痛烈な批評を受けるほうが良い。
6節 愚かな者の笑いはかまの下に燃えるいばらの音のようである。これもまた空である。
   愚か者のお世辞(「笑い」)は、かまの火にくべたいばらのように何の役にも立たない。そんなものに心を動かすのは、なんと空しいことか。
7節 たしかに、しえたげは賢い人を愚かにし、まいないは人の心をそこなう。
   知恵ある者も、わいろによって愚かな者になる。わいろは人の判断力を麻痺させる。
8節 事の終りはその初めよりも良い。耐え忍ぶ心は、おごり高ぶる心にまさる。
   事はその始めよりも終わりにおいてこそ正しく評価される。されば忍耐せよ、高ぶるな。
9節 気をせきたてて怒るな。怒りは愚かな者の胸に宿るからである。
   短気を起こしてはならない。怒りは愚か者の特徴だからだ。
10節 「昔が今よりもよかったのはなぜか」と言うな。あなたがこれを問うのは知恵から出るのではない。
   「日の下に新しいものはない(1:9)」のだから、「昔が今よりもよかったのはなぜか」というのは賢明な問いではない。
11節 知恵に財産が伴うのは良い。それは日を見る者どもに益がある。
   知恵に財産財産が伴うのはよい。「それは日を見る者ども」生きる者に益がある。
12節 知恵が身を守るのは、金銭が身を守るようである。しかし、知恵はこれを持つ者に生命を保たせる。これが知識のすぐれた所である。
   知恵も金銭も身の守りとなるが、知恵の利は持つものに生命を与える(箴言3:18 [1] )。

遂に知るべからず。(13-14)
13節 神のみわざを考えみよ。神の曲げられたものを、だれがまっすぐにすることができるか。
   神のすることに目を留めそれに従え。神が決めたことを変えることはできない。神の知と力は量り難く、弱小なる人間には結局人生の意味と目的を知ることは許されない。
14節 順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。神は人に将来どういう事があるかを、知らせないために、彼とこれとを等しく造られたのである。
   順境のときにはできるだけ楽しみ、逆境の時は神は与えると同時に取り上げる方だと考えよ。善悪ともありのままに受け入れて、その時に応じて善処するほかはない。善も悪もまぎらわしく、その真相は知り難い。

不安と懐疑(7:15-10:1)
過度を戒める。(15-25)
15節 わたしはこのむなしい人生において、もろもろの事を見た。そこには義人がその義によって滅びることがあり、悪人がその悪によって長生きすることがある。
   私は、このむなしい人生のすべてを見てきた。古来の教に従えば」、義人は長生きし(出エジプト20:12 [2] ,申命4:40)、悪人は滅びるはずだ(詩編37:10 [3] ,55:2)が、義人が若死にし、悪人がたいそう長生きすることがある。
16節 あなたは義に過ぎてはならない。また賢きに過ぎてはならない。あなたはどうして自分を滅ぼしてよかろうか。
   だから、正しすぎたり、知恵がありすぎたりして、常識を失ってはいけません。
17節 悪に過ぎてはならない。また愚かであってはならない。あなたはどうして、自分の時のこないのに、死んでよかろうか。
   かといって、悪人になりすぎても、愚か者になりすぎてもいけない。自分の時が来る前に死んでよいだろうか。
18節 あなたがこれを執るのはよい、また彼から手を引いてはならない。神をかしこむ者は、このすべてからのがれ出るのである。
   任せられた仕事は、どんなことがあっても手放してはいけない。神を敬っているなら、必ず神からの祝福をうける。
19節 知恵が知者を強くするのは、十人のつかさが町におるのにまさる。
   知恵ある者は、町の十人の有力者の力を合わせたより力がある。
20節 善を行い、罪を犯さない正しい人は世にいない。
   この世界には、いつも品行方正で一度も罪を犯さない人など一人もいない。
21節 人の語るすべての事に心をとめてはならない。これはあなたが、自分のしもべのあなたをのろう言葉を聞かないためである。
   ゆえに他人に多くを期待してはならない。時として使用人がのろうかもしれないが、その言葉を聞かないためである。
22節 あなたもまた、しばしば他人をのろったのを自分の心に知っているからである。
   自分を顧みても分かるはずだ。あなたも、何度も人をのろったはずだ。
23節 わたしは知恵をもってこのすべての事を試みて、「わたしは知者となろう」と言ったが、遠く及ばなかった。
   私は知恵ある者になろうと、すべてのことをしてみた。「知恵ある者になりたい」と人前で言ってみたが、知恵ある者になることはできなかった。
24節 物事の理は遠く、また、はなはだ深い。だれがこれを見いだすことができよう。
   知恵は遠いかなたにあって、探し出すのはきわめて困難であることを悟らされただけだった。
25節 わたしは、心を転じて、物を知り、事を探り、知恵と道理を求めようとし、また悪の愚かなこと、愚痴の狂気であることを知ろうとした。
   私は知恵と道理を見つけようと、あらゆる所を探した。また、悪行が愚かで、愚かさがどれほどばかげたことであるか悟ろうとした。

女性について。(25-29)
26節 わたしは、その心が、わなと網のような女、その手が、かせのような女は、死よりも苦い者であることを見いだした。神を喜ばす者は彼女からのがれる。しかし罪びとは彼女に捕えられる。
   悪い女は死よりも大きな苦痛を与える。神に喜ばれる者は恵みによって彼女から逃れるが、罪を犯す者は彼女のしかけた罠にかかってしまう。「その心が、わなと網のような女、その手が、かせのような女」感覚や感情をゆさぶる女性の魅力。「死よりも苦い」(詩編5:4-5 [4] )
27節 伝道者は言う、見よ、その数を知ろうとして、いちいち数えて、わたしが得たものはこれである。
   私の結論はこうだと伝道者は言う。事実をはっきり知るために、長い、いちいちの経験の結果、次のことを確信するようになった。
28節 わたしはなおこれを求めたけれども、得なかった。わたしは千人のうちにひとりの男子を得たけれども、そのすべてのうちに、ひとりの女子をも得なかった。
   私が話を聞いた男の千人に一人は、確かに知恵がある人物だったが、女には、知恵のある者は一人もいなかった。
29節 見よ、わたしが得た事は、ただこれだけである。すなわち、神は人を正しい者に造られたけれども、人は多くの計略を考え出した事である。
   さらに、次のことも知った。神は人を正しい者に造ったが、人々は策略を好む道に向かって行ったということだ。


(2020/05/26)


[1]  箴言
  3:18知恵は、これを捕える者には命の木である、
    これをしっかり捕える人はさいわいである。

[2]  出エジプト
    20:12あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。

[3]  詩編
   7:10悪しき者はただしばらくで、うせ去る。
    あなたは彼の所をつぶさに尋ねても彼はいない。

[4]  詩編
   5:4しかしついには、彼女はにがよもぎのように苦く、
    もろ刃のつるぎのように鋭くなる。
   5:5その足は死に下り、
    その歩みは陰府の道におもむく。