Image11章 概要 Image

伝道の書12章

あいさつ(1-2)
1節 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、
2節 また日や光や、月や星の暗くならない前に、雨の後にまた雲が帰らないうちに、そのようにせよ。
3節 その日になると、家を守る者は震え、力ある人はかがみ、ひきこなす女は少ないために休み、窓からのぞく者の目はかすみ、
4節 町の門は閉ざされる。その時ひきこなす音は低くなり、人は鳥の声によって起きあがり、歌の娘たちは皆、低くされる。
5節 彼らはまた高いものを恐れる。恐ろしいものが道にあり、あめんどうは花咲き、いなごはその身をひきずり歩き、その欲望は衰え、人が永遠の家に行こうとするので、泣く人が、ちまたを歩きまわる。
6節 その後、銀のひもは切れ、金の皿は砕け、水がめは泉のかたわらで破れ、車は井戸のかたわらで砕ける。
7節 ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。
8節 伝道者は言う、「空の空、いっさいは空である」と。
9節 さらに伝道者は知恵があるゆえに、知識を民に教えた。彼はよく考え、尋ねきわめ、あまたの箴言をまとめた。
10節 伝道者は麗しい言葉を得ようとつとめた。また彼は真実の言葉を正しく書きしるした。
11節 知者の言葉は突き棒のようであり、またよく打った釘のようなものであって、ひとりの牧者から出た言葉が集められたものである。
12節 わが子よ、これら以外の事にも心を用いよ。多くの書を作れば際限がない。多く学べばからだが疲れる。
13節 事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。
14節 神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである。



(2019/10/06)


[1]  エペソの教会は、聖書に精通し雄弁な説教者であるアポロの宣教によって建て上げられた。(使徒18:24)アポロは、力強くイエスがキリストであることを説いたが、それはバプテスマのヨハネが宣べ伝えていたイエスだった。そのため、イエスの名によってバプテスマを授けること、そしてイエスを信じる者に聖霊が与えられることを知らなかった。
パウロがコリントで天幕作りをしていたときの同業者であったユダヤ人アクラとプリスキラという夫婦が、エペソンにやって来ていた。彼らはアポロにイエスのことについて正しく説明した。(使徒18:26) そこでアポロは、さらに力強くイエスを宣べ伝えるようになった。
 アポロがコリントにいたとき、第三回目の宣教旅行の途上、パウロがエペソにやって来た。(使徒19:1)彼は、エペソにいる信者に、「あなたがたは、信仰にはいった時に、聖霊を受けたのか」と聞いた。聖霊については、アポロが教えていなかったので、彼らは知らないと答えた。そこでパウロは聖霊について話し、彼らに手をおくと、聖霊が彼らにくだり、ある者は異言を語ったり、預言をしたりした。(使徒19:6)
 パウロは、エペソに3年滞在し、神の国について論じた。エペソは貿易中継都市であり、アジヤ中の人たちがそこに来るので、アジヤ中の人たちがイエスを信じた。 そのときに、パウロをとおしてさまざまな奇蹟や不思議が行なわれた。パウロが身に着けていた手ぬぐいや前掛けを病人に当てると、悪霊が追い出され、病気は去った。(使徒19:12)
 エペソには、アルテミスという女神が祭られていたが、多くの人がキリストを信じたため、アルテミスの神殿の模型を買わなくなってしまった。そこで、銀細工人が騒動を起こし、町中が大騒ぎになった。(使徒19:23)
 そのため、パウロはエペソを離れざるを得なくなった。そして、パウロはコリントのほうに行き、エルサレムに帰る途中に、ミレトというところでエペソにいる教会の長老たちを呼び寄せ、(使徒20:17) 彼らに最後のメッセージを伝えた。それは、「狂暴なおおかみが、あなたがたの中にはいり込んできて、容赦なく群れを荒すようになる」また、「あなたがた自身の中からも、いろいろ曲ったことを言って、弟子たちを自分の方に、ひっぱり込もうとする者らが起る」ので目をさましているようにという警告だった。(使徒20:29)
 黙示録によると、イエスが、エペソの人たちが、使徒と自称している人の偽りを見抜いたことをほめている。(黙示2:2-3)  しかし、初めの愛から離れてしまったので、悔い改めて初めのわざを行なうようにと諭している。(黙示2:4-5)
 パウロは、エペソ人への手紙を、ローマで軟禁状態になっているときに書いた。

[2]  キリストによる選び ヨハネによる福音書15:16 「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。」

[3]  奥義 ミュステリオン(μυστεριον) 
  神の御旨により究極目的とされることを、神みずからが、目的にふさわしい方法で、啓示し、実現してくださること。
  パウロは彼が受けたキリストの奥義について2:14-17と3:5-11で、キリストの犠牲は、贖罪と平和の実現であるが、万物を神と和解させる(コロ1:20)ことでその結果は、すべてキリストにおいて統一される(エペ1:10、コロ1:26-28)と教えている。
  参照ロマ16:25-26、エペ3:8-10、1コリ2:6-11、コロ1:26-27、1テモ3:16

[4]  一つに帰せしめる 
  ギリシャ語:アナケファライオーサッサイの意味は、総計する、包括する、結論を出す、確認する