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へブル人への手紙1章

主イエス・キリストによる神の新しい契約の意義を説き、福音がすべての教えに優越するものであることを教える。その優越性と絶対性はキリストの至高を表すものであるから、まずその御名をあがめ栄光を帰することに尽きる。そのため特に1-4は、神が語られたという事実を主題とする重要な序文となっている。そこでは「むかし」と「終わりの時」を対象し、旧約の時と新約の時を対象させながら、神の永遠の計画という意味で相互に内的な連続性を表している。「むかし」は消失した時ではなく、「終わりの時」によって満たされるものである。

神は御子によって語る(1-4)
1節 神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、
  「神は、むかしは、」は旧約の時を示す。この昔は消失した時ではなく、「終わりの時」に連続する。「預言者たちにより、」により語られた神の約束は、御子イエス・キリストによって成就されたからである。
2節 この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。
  「この終りの時には、」は新約の時を示す。キリストは「律法の終結」であり、福音は旧約の成就である。神の契約の本質は変わらないが、ここで契約の相手の推移を対比して明らかにしている。すなわち、旧約の時には、神はイスラエルの父祖である「先祖たち」に語られたが、新約の時には、御子キリストによって「わたしたち」クリスチャンに語られるということである。旧約においてもキリストは「主」であったが、時満ちて世に現れたもうた。またここで御子を万物を統べおさめる神の相続者 [1] 、創造者 [2] であることを明らかにしている。
3節 御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。
  「神の本質の真の姿」御子は、神の完全な現われ [3] である。御子を見た者は、神を見ているということだ。御子は、万物を創造し、万物を相続しておられるだけではなく、「万物を保っておられる」。そして、罪の供え物となられ、贖罪することにより、私たちの罪をみなきよめてくださったのである。「座につかれた」とは、罪のきよめと救いのために必要なことはすべて成し遂げられたことを意味する。

4節 御子は、その受け継がれた名が御使たちの名にまさっているので、彼らよりもすぐれた者となられた。
  神は御子イエスによって、この世界を創造し、また救いの業を完成された。したがってイエスの名にまさる名はありえない。それは「御使たちの名にまさっている」天使さえおよばない栄誉である。 その「名」は代々ほめたたえられてやむことがない。 [4]

御子は天使たちに勝る(5‐14)
5節 いったい、神は御使たちのだれに対して、
    「あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ」 [5]
  と言い、さらにまた、
    「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となるであろう」 [6] と言われたことがあるか。

 「生んだ」とは、神の独り子、栄光の主が、死よりよみがえったことを意味する。   ダビデの子孫が神の救いの計画を担う者であると聖書を根拠に解き明かし、イエスによって成就したことを告げている。
  命の君である主の御名は、天使と比べることができないほど高い位置をしめる。
  天使は人をはるかに超えた神の使者であり、高い存在であるが、決して礼拝の対象とはならない。
6節 さらにまた、神は、その長子を世界に導き入れるに当って、
    「神の御使たちはことごとく、彼を拝すべきである」
  と言われた。

  神は「その長子」イエス・キリストを世につかわし、すべての人の贖い主、永遠の救い主とされ主権を与えられた。それ故、天使もまたキリストを拝すべきと言われる。
7節 また、御使たちについては、
    「神は、御使たちを風とし、ご自分に仕える者たちを炎とされる」
  と言われているが、

  詩篇104:4からの引用。 旧約聖書のヘブル語で、息とか風は、霊を意味する。神は御使いたちを霊とし、神の目的を実行するために神に「仕える者」とする。
  14節に「御使たちはすべて仕える霊」とある。
8節 御子については、「神よ、あなたの御座は、世々限りなく続き、あなたの支配のつえは、公平のつえである。
  一方、父なる神は、「神よ、」と呼びかけて、御子イエスが神であること [8] を明確にしている。
9節 あなたは義を愛し、不法を憎まれた。それゆえに、神、あなたの神は、喜びのあぶらを、あなたの友に注ぐよりも多く、あなたに注がれた」と言い、
 「義を愛し、不法を憎まれた」御子が大能者の神の右の座にいるのはこのことによる。祭司、王、預言者が受ける油注ぎをイエスは、父なる神から受けた。
10節 さらに、「主よ、あなたは初めに、地の基をおすえになった。 [9] もろもろの天も、み手のわざである。
神の御子イエスが万物の創造主であることを再び宣言している。
11節 これらのものは滅びてしまうが、あなたは、いつまでもいますかたである。すべてのものは衣のように古び、
  目の前のものは永遠に続くものと思ってしまうが、すべての創造物は滅びてしまう。 地球、月、太陽、星は、いつか滅んでしまう。 しかし御子は、天地万象が滅んでも、少しも影響されず残る。
12節 それらをあなたは、外套のように巻かれる。これらのものは、衣のように変るが、あなたは、いつも変ることがなく、あなたのよわいは、尽きることがない」とも言われている。
  これらの天地万象がなくなっても、御子にとっては着物を取り替えるようなもので、永遠に存在する御子は、新しい天地を造られる。
13節 神は、御使たちのだれに対して、「あなたの敵を、あなたの足台とするときまでは、わたしの右に座していなさい」 [10] と言われたことがあるか。
 「あなたの敵」とは、創世記3:15の反キリストのことで、「あなたの敵を、あなたの足台とするとき」とは、キリストが再臨し、悪魔と反キリストの支配を終わらせて、神の国を地上に立てられるときを指し、それまでは神の「右に座して」いよという意味になる。
  詩篇110:1は、イスラエルの王者をうたったものだが、ここでは王の王であるイエスに適用し、死からよみがえった勝利者への思いに至らせ、反キリストの攻撃から人を救い出し、霊の死である罪からの救済があることを知らしめる。
14節 御使たちはすべて仕える霊であって、救を受け継ぐべき人々に奉仕するため、つかわされたものではないか。
  イエス・キリストのみが永遠に神と人との仲保者であって、天使はこれと「救を受け継ぐべき人々」キリストを信じるキリストの共同の相続人に仕える者に過ぎない。また神とイエスの使者であり、その意味で聖徒もしばしば天使の役割をつとめることになる。

(2019/11/11)


[1]  神の相続者
 詩篇2:7-8
   「わたしは主の詔をのべよう。
    主はわたしに言われた、「おまえはわたしの子だ。
    きょう、わたしはおまえを生んだ。
    わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を
    嗣業としておまえに与え、
    地のはてまでもおまえの所有として与える。」

 ヨハネ3:35
   「父は御子を愛して、万物をその手にお与えになった。」

[2]  創造者
 ヨハネ1:3
   「すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。」

 コロサイ1:16
   「万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。」

[3]  ヨハネ14:8-9
 「ピリポはイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。
  イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。」

[4]  ピリピ2:6-11
   「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、
    かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、
    おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。
    それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった。
    それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものなど、あらゆるものがひざをかがめ、
    また、あらゆる舌が、「イエス・キリストは主である」と告白して、栄光を父なる神に帰するためである。」

[5]  詩篇2:7
   「わたしは主の詔をのべよう。
    主はわたしに言われた、「おまえはわたしの子だ。
    きょう、わたしはおまえを生んだ。」

[6]  2サムエル7:14
    「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となるであろう。」

[7]  詩篇97:7
   「すべて刻んだ像を拝む者、 むなしい偶像をもってみずから誇る者は はずかしめをうける。 もろもろの神は主のみ前にひれ伏す。」

[8]  ヨハネ第一の手紙
1ヨハネ5:20
  「さらに、神の子がきて、真実なかたを知る知力をわたしたちに授けて下さったことも、知っている。
   そして、わたしたちは、真実なかたにおり、御子イエス・キリストにおるのである。
   このかたは真実な神であり、永遠のいのちである。」

[9]  詩篇102:25
  「あなたはいにしえ、地の基をすえられました。
   天もまたあなたのみ手のわざです。」

[10]  詩篇110:1
  「主はわが主に言われる、
   「わたしがあなたのもろもろの敵を
    あなたの足台とするまで、わたしの右に座せよ」と。」