欽定訳マタイ26:45
の矛盾

はじめに

ここで吟味しようという部分は、欽定訳聖書のマタイによる福音書26:45だ。日本聖書協会の口語訳聖書(以下口語訳)のマタイによる福音書26:45,46は次のようになっている。
「45それから弟子たちの所に帰ってきて、言われた、『まだ眠っているのか、休んでいるのか。見よ、時が迫った。人の子は罪人らの手に渡されるのだ。 46立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切る者が近づいてきた』。」

口語訳を翻訳する際に参照した改定標準訳聖書(RSV)では、次のようになっている。
45Then he came to the disciples and said to them, “Are you still sleeping and taking your rest? Behold, the hour is at hand, and the Son of man is betrayed into the hands of sinners. 46Rise, let us be going; see, my betrayer is at hand.”

同じ箇所が、舊新約聖書(以下文語訳)では、次のようになっている。
「45而して弟子たちの許に來りて言い給ふ。『今は眠りて休め。視よ、時近づけり、人の子は罪人らの手に付さるるなり。46起きよ、我ら往くべし。視よ、我を賣るもの近づけり』」

文語訳を翻訳する際に参照した改訂訳聖書(以下RV)では、次のようになっている。
45Then cometh he to the disciples, and saith unto them, Sleep on now, and take your rest: behold, the hour is at hand, and the Son of man is betrayed into the hands of sinners. 46Arise, let us be going: behold, he is at hand that betrayeth me.

RVのオリジナルであるKJVは、語句に若干の差異があるが同じ内容になっている。
45Then cometh he to his disciples, and saith unto them, Sleep on now, and take your rest: behold, the hour is at hand, and the Son of man is betrayed into the hands of sinners. 46Rise, let us be going: behold, he is at hand that doth betray me.

KJV [1] の実質的な文章の根拠となったティンダル聖書では、
45Then came he to his disciples and sayd vnto them: Slepe hence forth and take youre reest. Take hede the houre is at honde and ye sonne of man shalbe betrayed into ye hondes of synners. 46Ryse let vs be goinge: beholde he is at honde yt shall betraye me.

KJVでは、Slepe hence forthをSleep on nowにしている。

この場面は、かなり緊張した状況のはずだが、文語約(RV)の『今は眠りて休め。』(Sleep on now, and take your rest)と言うのは、その状態になじまないように私には思える。しかも、眠って休みなさいと言った直後に『起きよ、我ら往くべし。』(Rise, let us be going.)と急がせている。
マルコ14:41では、「三度來たりて言いひたまふ『今は眠りて休め、足れり、時きたれり、視よ、人の子は罪人らの手に付されるなり。』」となっており、もっと際立っている。「眠って休みなさい」と言った途端に「もう十分だ。時間になった。・・・」は、いくらなんでも無理があるような気がする。当然時間の経過があったはずだが、その記述がないため初めて読む読者は当惑する。
RV(KJVも同じ)のマルコ14:41は次のようになっている。
And he cometh the third time, and saith unto them, Sleep on now, and take your rest: it is enough, the hour is come; behold, the Son of man is betrayed into the hands of sinners.

ティンダル聖書では、次のようになっている。やはり、it is enough(ynough).が入っていおり、slepe hens forth and take youre easeと文脈的に矛盾する記述だ。 And he cam the thyrde tyme and sayd vnto the: slepe hens forth and take youre ease it is ynough. The houre is come beholde ye sonne of man shalbe delyvered into ye hondes of synners.
(注 マタイのhenceがルカではhensになっている。原文がこうなっていたものでタイプミスではない。)

KJV(RV, ASV)の翻訳は適切ではなかったのではないか? そのためRSVで修正したのではないだろうか? だとしたらKJVのこの部分を受け入れるのは避けるべきだろうか?

翻訳の変遷

口語訳(叱責)と文語訳(許可)の差異は、前述のように参照したRSVとRVの違いによるものだが、KJVからRSVまでの翻訳(改訂)の変遷は次のようになっている。

聖書 刊行年 備考
ティンダル聖書 1523~ 当時の教会反対の立場で英訳した。
欽定訳聖書(KJV) 1611 ティンダルの仕事の大半を反映している。
English Revised Version(RV) 1884 KJVの改訂版
アメリカ標準訳聖書(ASV) 1901 RVのアメリカ版
改定標準訳聖書(RSV) 1952 ASVの改訂版
ASVまでが、Sleep on now, and take your restになっており、RSVでAre you still sleeping and taking your rest? に修正されている。

(注1) 以上のマタイによる福音書(マルコによる福音書も同様)のRSVとKJV間の違いは、ルカによる福音書の間には存在しない。どちらもイエスは弟子たちを叱責している。

口語訳ルカによる福音書22:45-47

「45祈を終えて立ちあがり、弟子たちのところへ行かれると、彼らが悲しみのはて寝入っているのをごらんになって 46言われた、『なぜ眠っているのか。誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい』。 47イエスがまだそう言っておられるうちに、そこに群衆が現れ、十二弟子のひとりでユダという者が先頭に立って、イエスに接吻しようとして近づいてきた。」

KJV Luke 22 45 And when he rose up from prayer, and was come to his disciples, he found them sleeping for sorrow, 46 And said unto them, Why sleep ye? rise and pray, lest ye enter into temptation.
47 And while he yet spake, behold a multitude, and he that was called Judas, one of the twelve, went before them, and drew near unto Jesus to kiss him.

考察

NESTLE-ALAND [2] 第24版を底本にした新改訳聖書 [3] では、「まだ眠って休んでいるのですか。 ...」としているが、脚注に*別訳「では、ぐっすり眠って休んでいなさい」とあり、そもそも底本のギリシャ語本文がどちらにもとれる記述になっていることが考えられる。
その場合、文脈から判断し、話の流れに矛盾が無いほうを選ぶのが妥当と思われる。

それを確認してみよう。
NESTLE-ALAND 第28版 [4] ギリシャ語原典本文のマタイ26:45,46は次のようになっている。
45 τοτε ερχεται προς τους μαθητας και λεγει αυτοις· καθευδετε [το] [5] λοιπον και αναπαυεσθε · ιδου ηγγικεν η ωρα και ο υιος του ανθρωπου παραδιδοται εις χειρας αμαρτωλων.
46 ἐγείρεσθε ἄγωμεν ἰδοὺ ἤγγικεν o παραδιδούς με.

RSVとKJVの底本は、当然のことだかNESTLE-ALAND 第28版ではない。しかし、現時点で入手可能な本文なので、これを新たに逐語訳しながら、RSVとKJVを比較してみた。
本文 [6] 逐語訳 RSV KJV
τότε at that time Then Then
ἔρχεται to come he came comth he
προς to to to
τους their his
μαθητὰς a disciple the disciples disciples
και and and and
λέγει to say said saith
αυτοις them to them unto them
καθεύδετε to sleep Are you sleeping Sleep on now
λοιπον well, therefore
και and and and
αναπαυεσθε your rest taking your rest? take your rest
ἰδοὺ look Behold, behold
ἤγγικεν to make near is at hand is at hand
η the the the
ωρα a time hour hour
και and and and
ο the the the
υἱὸς a son Son Son
του of of of
ἀνθρώπου a man man man
παραδίδοται to be betrayed is betrayed is betrayed
εις to, in, into into into
χειρας hands the hands of the hands of
αμαρτωλων sinners sinners sinners
ἐγείρεσθε to raise up Rise Rise,
ἄγωμεν to lead let us be going let us be going
ἰδοὺ look see behold
ἤγγικεν to make near my betrayer is at hand he is at hand
ο the that
παραδιδούς to betray doth betray
με me me
上記の比較を見るとλοιπον(発音:リーボン)の扱いによって違いが出ているように思われる。 表にあるようにλοιπονは、well, therefore(さて、それゆえ)に相当する。このλοιπονの扱い方の違いは、イエスが三度目の祈りを終えて弟子たちのところに戻ったとき、彼らはまだ眠っていたのか起きていたのかの差によって入り込む。口語訳の読者は、この場面で弟子たちは眠っていたと思い込んでいるが、ギリシャ語本文を見るとイエスが二度目の祈りの後弟子たちのところに戻ったとき、彼らはまだ眠っていたと書かれているものの、三度目の祈りを終えて弟子たちのところに戻ったときは、どうだったのか書かれていない。 KJV(正確にはティンダルと言うべきだろう)は、弟子たちは起きていたと解釈し、λοιπονにイエスが地上で果たすべき最後の重大な試練を迎える前に彼らに十分な休息を与えようという思いをnowに込めて、Sleep on now, and take your rest.としたのではないか。この場合、違和感が残るのは、45節と46節の間に時間差が無いことだ。その点、RSVの方が自然な感じがする。RSVでは、イエスが三度目の祈りを終えて弟子たちのところに戻ったとき、彼らはまだ眠っていたと解釈し、λοιπονに「さてさてお前たちはまだ寝ているか、休んでいるのか。」という思いを現在進行形の疑問文に込めてAre you sleeping and taking your rest?としている。

基本的な概念を三度繰り返すという方法は、聖書の中では馴染みのある原則のひとつだ。ろばを三度打ったバラム、三度神に呼ばれた幼いサムエル、三度主を呼び子供を生き返らせたエリヤ、一日に三度祈りをささげたダニエル、鶏が鳴く前に三度イエスを知らないと言ったペテロ、イエスを愛するかと三度問われたペテロ、コルネリオを訪れる前に幻を三度見たペテロ、等々。これらの出来事を考えると、イエスが三度目の祈りを終えて戻ったとき弟子たちまだ眠っていたということは受け入れやすい。この観点から、RSVの改訂版であるESVのSleep and take your rest later on.も理解が容易だ。新世界訳聖書のAt such a time as this YOU are sleeping and taking YOUR rest!は、At such a time asに次に続く緊迫した状態とλοιπονを結合させ、その時の場面にしっくりなじむ。また、ルター訳聖書(1545年版)のAch wollt ihr nur schlafen und ruhen? (ああ、あなたがたは、いったい眠り、休みたいのか?)や1984年の改訂版のAch, wollt ihr weiter schlafen und ruhen? (ああ、あなたがたは、まだ眠って休みたいのか?) も次に続く文に自然につながる。

とは言え、弟子たちは起きていたという立場で、KJVのような訳し方をしている聖書は他にも存在する。 例えば、エルサレム聖書は、次のようになっている。
Alors il vient vers les disciples et leur dit : [Désormais vous pouvez dormir et vous reposer : voici toute proche l'heure où le Fils de i'homme va étre livré aux mains des des pécheurs. Levez-vous ! Allons ! Voici tout proche celui qui me livre.]
それから彼は弟子たちの所に来て言った:「今は眠り、休んでもよい。:見よ、人の子が罪人たちの手に渡される時が来た。起きろ!さあ!ここに私を裏切る者が近づいてきた。」 [7]

このように、三度目の祈りの後も弟子たちは眠っていたと解釈するか、あるいは起きていたと解釈するかによってRSV型か、KJV型の二種類の翻訳が存在することになった。新改訳聖書のように文脈の整合性からRSV型としたものの別訳としてKJV型を注釈に入れているものもある。

さて、KJV型の難点は、45節と46節の文脈上の矛盾であるが、ジョセフ・スミス訳聖書(IV)では、And after they had sleptと入れて、時間の経過があったことを明確にしてこの矛盾を克服している。

マタイ26:43、Then cometh he to his disciples, and Saith unto them, Sleep on now and take rest. Behold, the hour is at hand, and the Son of Man is betrayed into the hands of sinners.
44. And after they had slept, he said unto them, Arise, and let us be going. Behold, he is at hand that doth betray me.

マルコ14:46、And he cometh to them the third time, and said unto them, Sleep on now and take rest; it is enough, the hour is come; behold , the Son of Man is betrayed into the hands of sinners.
47. And after they had finished their sleep, he said, Rise up, let us go; lo, he who betrayth me is at hand.

このようにイエスが三度目の祈りを終えて弟子たちのところに戻った後、弟子たちに休息をとらせ、十分に休み眠り終えた後、「起きなさい。さあ行こう。・・・」と言っているわけだ。そこには、KJVに見られる文脈上の矛盾は無いし、RSVのように寝ていたのを叱責したという記述も無い。ギリシャ語本文の46節には、IV 44節のAnd after they had sleptに相当する記述は存在しないのだが、これはIVが原典からの翻訳ではなく、KJVの誤りを修正、または不明瞭な部分を補正することを目的としているものだからだ。

(注2) IVは合本の聖句ガイドの中に抜粋が含まれているし、LDS.ORGで抜粋を見ることが可能だ。 しかし以上の方法で参照できるIVの抜粋には、上記のマタイ26:45,46とマルコ14:41,42は含まれていない。Bruce R. McConkieのDOCTRINAL NEW TESTAMENT COMMENTARYのVOLUME 1には、マタイ26:46に相当する44節、マルコ14:42に相当する47節が掲載されている。しかし、IVを全文参照しているわけではなく、KJBと差異がある部分のみを引用しているようだ。AndroidアプリのLDS Scripturesでは、King James Bileの他にIVの全文(JST Bibleとして掲載している)を読むことができる。

まとめ

ギリシャ語本文に忠実に翻訳するという観点から、KJVが刊行された341年後のRSVの改訂で、文脈的な矛盾を克服したということであろう。 言い換えれば、マタイが何を語っているか、何故ここでそれを語っているか、読者に伝えようと意図した事は何かという解釈が変わったということだ。

KJV(ティンダル)では眠ることが、弟子たちの信仰の次の段階への条件になっている。ゲッセマネの園におけるイエスの祈りの意味をこの時点の弟子たちはまだ理解していない。過去に起きた出来事の意味を、ある程度の時間を経てから突然理解するということはよくあることだ。その事が行われた真の意味を心の深部で熟成する期間が必要なのだ。 また眠りは再生を意味する。 眠ることにより、心身に休息を与え悩み憂いを軽くし、勇気を取り戻し新たな力を得る。 贖い主としての使命を果たす第一段階であるゲッセマネの園での苦しみ、敵の手に渡されピラトの前で裁かれる屈辱、そして贖いの第二段階のゴルゴタの丘での肉体の苦痛は、イエスが一人で行わなければ意味が無い。そこに弟子たちが入り込む余地はまったく無い。 その一連の過程において、彼らはただ傍観し、失望し、悔恨の念にさいなまれ涙を流すのみだ。 その涙は彼らを浄化させ、迷いを断ち切り、世の救い主イエスの使命と意味を理解するために必要なことだった。 そのとき弟子たちは霊的な意味で眠りから覚めたのだった。 さらに時間を経た後にイエスが今は眠って休めと言った意味を悟ったことだろう。彼らの信仰を揺るぎの無いものとするために眠ることが必要だったのだ。

この捉え方の弱い点は、文脈的な矛盾に加え、何故イエスは最初から眠って休んでいるように言わなかったのかという疑問が残ることだ。 一方、RSVは、ここで信仰における覚醒に焦点を当てた捉え方をしているように思える。イエスは弟子たちにいっしょに目をさましているように言った。 また祈りから戻ってきたときに弟子たちが眠っているのを見て、誘惑に陥らないように、目をさまして、祈るようにも言った。 人は眠っている間、無防備になる。 イエスは、弟子たちに信仰的に常に気をつけて目をさましていないと誘惑に陥ると警告したのだ。 しかしイエスの警告にかかわらず彼らは眠ってしまった。心は燃えていても体は弱いからだ。 我々も霊的に眠ってしまうことがあるだろう。 そうとき信仰は無防備だから誘惑に弱い。 常に目をさましていないと信仰が挫ける危険がある。眠っていても神の業は進む。イエスは三度目の祈りの後、弟子たちを叱咤し、贖罪の最後の仕上げの段階に進む時がきた事を弟子たちに告げる。イエスが弟子たちを叱ったのはこれが最後だった。その時弟子たちはイエスの叱責の真意を知る由もなかったが、イエスと別れてしばらく経った後に気づいたはずだ。イエスが弟子たちに教えた常に目覚めていることの重要性を。そして真の信仰を確立し、あらゆる国の人々を弟子とするのだ。マタイは読者にそのことを伝えようしたのではないか。

IVでは、KJVとRSVの意図を統合しているように思える。 弟子たちの信仰が次の段階に進み(KJV)、かつ祈って常に目をさましている(RSV)ことの意味を知るために眠ることが必要だった。何れにせよ、山の上で切り出された岩が自然に転げ落ちるように神の業は、我々の信仰が眠っていようと起きていようと進む。そして、それぞれの人には、いつか眠りから目覚め立ち上がるときが来るのだ。

以上 (2013/08/17)

補記(2018/08/16)

ギリシャ語の時制の扱い方からすれば、眠り休むのがイエスが弟子たちのところに来た時とは限定できない。とすればその時のイエスの立場から実際どう言ったのかという観点から翻訳したESV(別表参照)が、私には好感が持てる。次のように書かれている。
Then he came to the disciples and said to them, “Sleep and take your rest later on. See, the hour is at hand, and the Son of Man is betrayed into the hands of sinners. Rise, let us be going; see, my betrayer is at hand.”

日本語にすると次のようになるだろうか。
それから、彼は弟子たちのところに来て言われた。「後で、眠り休みなさい。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです。 立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」

今は眠っている時ではない。イエスが地上で最後に完結すべきことを行う時が来た。立って弟子としての務めを行うために行いなさい。今は休む時ではないが、それを行った後に、眠って休みなさいと言っているわけだ。

(注3) 新約聖書ギリシャ語動詞の時制
新約聖書本文では、著者の「主観」、出来事や行動の「今」の意味や意義に焦点を絞り、現在を中心にした時間の座標軸に縛られない。 福音書はすべて現在形で書かれている。そこでは、マタイが出来事や行動を「どのように見ているか、表現しているか」に焦点が当てられている。この視点の関係は、日本語での表現がやりやすい。日本語においては、存在しているか、していないかに焦点が当てられるからだ。しかし英語では、過去・現在・未来をはっきりさせながら、「どのように起こったか」に焦点を当て、その出来事に適切な時制を割り当てる必要から、RSVではThen he came to the disciples and said to themと過去形にしている。しかし、初期中英語のKJVでThen cometh he to his disciples, and saith unto themと現在形の表記だ。文語訳ではこれを「弟子たちの許に來りて言い給ふ。」としており、簡潔で分かりやすい。過去・現在・未来は幻想であり、あるのは現在(完了か未完了)のみで、存在関係を重視する日本語は聖書の記述に向いているのではないかと思う。特に文語体において。


参考
聖書 備考 マタイによる福音書26:45,46
舊新約聖書(文語訳聖書) 旧約部分は1887年の明治元訳からなり、新約部分は1917年の大正改訳になっている。RVを参照している。
日本聖書協会刊行
而して弟子たちの許に來りて言い給ふ。『今は眠りて休め。視よ、時近づけり、人の子は罪人らの手に付さるるなり。起きよ、我ら往くべし。視よ、我を賣るもの近づけり』
口語訳聖書(1954) 日本聖書協会がRSVを参照して編纂、
文体の問題から批判が相次いだ。また神やキリストの権威を弱めているとして、新改訳聖書を産むきっかけになった
それから弟子たちの所に帰ってきて、言われた、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。見よ、時が迫った。人の子は罪人らの手に渡されるのだ。 立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切る者が近づいてきた。
新改訳聖書(1970) ヘブル語およびギリシャ語本文の修正を避け、原典に忠実に翻訳している。
日本聖書刊行会刊行

2017年全面改訂し、新改訳聖書2017になった。
新日本聖書刊行会翻訳 
いのちのことば社刊行
それから、イエスは弟子たちのところに来て言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです。立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」

脚注に*別訳「では、ぐっすり眠って休んでいなさい」とある。
Bibel nach Martin Luther
(1545版)
ルター訳聖書初期のもの
ルターが自ら行った修正の最終版
Da kam er zu seinen Jüngern und sprach zu ihnen: Ach wollt ihr nur schlafen und ruhen? Siehe, die Stunde ist hier, daß des Menschen Sohn in der Sünder Hände überantwortet wird. Stehet auf, laßt uns gehen! Siehe, er ist da, der mich verrät!
Bibel nach Martin Luther (1984版) ルター訳聖書は多くの修正を経てきたが、この版は名前表記を古来のルターの書法にもどしたもの
ドイツ聖書協会(Deutsche Biblegesellschaft)刊行
Dann kam er zu seinen Jüngern und sprach zu ihnen: Ach, wollt ihr weiter schlafen und ruhen? Siehe, die Stunde ist da, dass der Menschen in die Hände der Sünder überantwortet wird. Steht auf, lasst uns gehen! Siehe, er ist da, der mich verrät!
Tyndale(ティンダル聖書 1523) ティンダル(William Tyndale)はKJVの父と考えられている。KJVの新約聖書90%近くがティンダルのものと考えられており、約3分の1はティンダルとまったく同一である。旧約聖書についても、ティンダルが手をつけた部分に限れば似たような割合になっている。 Then came he to his disciples and sayd vnto them: Slepe hence forth and take youre reest. Take hede the houre is at honde and ye sonne of man shalbe betrayed into ye hondes of synners. Ryse let vs be goinge: beholde he is at honde yt shall betraye me.
King James Version(KJV)
欽定訳
オリジナルのKJV(1611)は国王の指示により欄外脚注が無い Then cometh he to his disciples, and saith unto them, Sleep on now, and take your rest: behold, the hour is at hand, and the Son of man is betrayed into the hands of sinners. Rise, let us be going: behold, he is at hand that doth betray me.
English Revised Version(改訂訳 RV 1884) 欽定訳の誤訳、蓋然性の低い解釈、難解な表現、翻訳内部の矛盾を大幅に修正
舊新約聖書(文語訳聖書)編纂の際参照
Then cometh he to the disciples, and saith unto them, Sleep on now, and take your rest: behold, the hour is at hand, and the Son of man is betrayed into the hands of sinners. Arise, let us be going: behold, he is at hand that betrayeth me.
American Standard Version(アメリカ標準訳聖書 ASV 1901) KJVの改訂訳聖書(RV 1884)のアメリカ版 Then cometh he to the disciples, and saith unto them, Sleep on now, and take your rest: behold, the hour is at hand, and the Son of man is betrayed into the hands of sinners. Arise, let us be going: behold, he is at hand that betrayeth me.
Revised Standard Version (改定標準訳聖書RSV 1952) ASVの改訂版
評価が高くKJVから切り替えられた
口語訳聖書編纂の際に参照
Then he came to the disciples and said to them, “Are you still sleeping and taking your rest? Behold, the hour is at hand, and the Son of man is betrayed into the hands of sinners. Rise, let us be going; see, my betrayer is at hand.”
English Standard Version (英語標準聖書ESV 2001) RSVの改訂版 Then he came to the disciples and said to them, “Sleep and take your rest later on. See, the hour is at hand, and the Son of Man is betrayed into the hands of sinners. Rise, let us be going; see, my betrayer is at hand.”
New American Standard Bible (新アメリカ標準訳聖書NASB 1963) 原語(ヘブル語、アラム語、ギリシャ語)に忠実 Then He came to the disciples and *said to them, “Are you still sleeping and resting? Behold, the hour is at hand and the Son of Man is being betrayed into the hands of sinners. Get up, let us be going; behold, the one who betrays Me is at hand!”
NEW WORLD TRANSLATION OF THE HOLY SCRIPTURES (新世界訳聖書 1961) エホバの証人の聖書 優れた字義訳の聖書であると高く自己評価しているが、伝統的諸教会は、恣意的な訳文が見られると批判 Then he came to the disciples and said to them: “At such a time as this ​YOU​ are sleeping and taking ​YOUR​ rest! Look! The hour has drawn near for the Son of man to be betrayed into the hands of sinners. Get up, let us go. Look! My betrayer has drawn near.”
New International Version (新国際版聖書NIV 1996) 英語圏で最も普及している。 Then he returned to the disciples and said to them, “Are you still sleeping and resting? Look, the hour has come, and the Son of Man is delivered into the hands of sinners. Rise! Let us go! Here comes my betrayer!”
La Bible de Jérusalem (エルサレム聖書 TJB 1956 仏語) ヘブライ語やギリシア語の原典から翻訳した高い学問的水準の翻訳と言われるカトリックの聖書、共同訳のきっかけとなった。 Alors il vient vers les disciples et leur dit : [Désormais vous pouvez dormir et vous reposer(you can sleep and rest) : voici toute proche l'heure où le Fils de i'homme va étre livré aux mains des des pécheurs. Levez-vous ! Allons ! Voici tout proche celui qui me livre.]

[1] 新約の底本はビザンチン・テキスト

[2] 現代の翻訳では底本として通常NESTLE-ALANDを使う。(ドイツ語式にネステル・アーラントと読む。)

[3] 編集方針は原語に忠実というNASB(新アメリカ標準訳聖書)を踏襲している。逐語訳による。

[4] ドイツ聖書協会(Deutsch Bibelgesellschaft)が2012年に発行している。

[5] このτοは信憑性がないとされているので、翻訳対象から省いた

[6] 動詞の種類(他動詞、自動詞)、態の他に自制、人称によって判断する。主語が無くてもἔρχεταιは三人称単数なので、he cameとなる。(この辺は日本語に似ている。)

[7] 日本語は佐々木訳なのであまり当てにならない。