ヨハネによる福音書
1. はじめに
成立と著者
「ヨハネによる福音書」は、「共観福音書」と呼ばれる他の3つの福音書とは内容的に一線を画している。そのため「第四福音書」または「精神的福音書」と呼ばれることがある。「ヨハネによる福音書」は4つの中で一番最後に書かれたものとみられる。誰によって書かれたかということに関してはいくつかの説がある。
この福音書中に出てくる「イエスの愛しておられた弟子」
[1]
はゼベダイの子、ヤコブの兄弟
[2]
の使徒ヨハネであり、イエスの復活の際、ペテロと共に走って墓に駆け付け、見て信じた弟子
[3]
と書かれている。そしてこの弟子が小アジアのエペソの教会に住み、福音書を書いたと伝承されてきた。その場合の成立はローマの第11代皇帝ドミティアヌス治世下の81-96年となる。
しかし、「イエスの愛しておられた弟子」の名前は本文中では明らかにされないこと。さらに使徒ヨハネは、50年代にその兄弟ヤコブと共に殉教したという説から、福音書の著者は別の長老ヨハネ
[4]
だったとも言われている。長老ヨハネは、エルサレムの教会に属していたが、小アジアに移動してエペソに住み、教会を攻撃していたグノーシス主義者と戦った人で、信仰の正当性を主張し、敵を論破し彼らにイエスを信ずることにより救われることを証しするため福音書を書いたとされる。
ヨハネによる福音書の最古の写本断片が120年頃のものと鑑定されており、成立は一世紀末との見解もある。「ヨハネ共同体」によって書かれたという説もある。
ヨハネによる福音書の目的
「共観福音書」のマタイ、マルコ、ルカによる福音書には、イエスの生涯についての記述が多く、これら3つの福音書の間には多くの重複が見られる。しかし「ヨハネによる福音書」には共観福音書との重複が少なく、イエスが話された教えが多く書かれている。
特にイエスが天父の愛する一人子であり、贖い主・救い主であることを強調し、その帰結として愛を前面に押しだしている。
ヨハネによる福音書3:16はそのことが要約されており、聖書全体の要約という意味でミニバイブルと呼ばれる。
「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」
また20:31にはこの福音書を書いた目的を次のように明確に書いている。
「しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。」
このようにヨハネによる福音書は、イエスに対する信仰を引き出すことを目的にしており、そのことが福音書の随所に書きあらわされている。
[5]
ヨハネによる福音書の構成
以下の5つの部分で構成される。
1) プロローグ(1:1-5)
2) 神の子イエスの栄光を世に表す公生活(1:6-12:50)
3) 弟子たちに個人的に語った言葉、そしてイエスの苦難と死と復活により弟子たちに神の子の栄光を現す。(13:1-20:31)
4) テベリヤ湖畔におけるイエスの顕現(21:1-24)
5) エピローグ(21:5)
注: 2)と3)が福音書の主要部分で、1)はこれを導く序詞となっている。4)と5)は後書として付加されたもの。
(2019/01/19)
ヨハネによる福音書注解
ヨハネによる福音書1
ヨハネによる福音書2
[1] 「弟子たちのひとりで、イエスの愛しておられた者が、み胸に近く席についていた。」(ヨハネ13:23) 「19:26イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っているのをごらんになって、母にいわれた、「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」。」(ヨハネ19:26) 「そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛しておられた、もうひとりの弟子のところへ行って、彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」。 」(ヨハネ20:2) 「イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに「あれは主だ」と言った。シモン・ペテロは主であると聞いて、裸になっていたため、上着をまとって海にとびこんだ。」(ヨハネ21:7)) 「21:20ペテロはふり返ると、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのを見た。この弟子は、あの夕食のときイエスの胸近くに寄りかかって、「主よ、あなたを裏切る者は、だれなのですか」と尋ねた人である」(ヨハネ21:20))
[2] 「また少し進んで行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネとが、舟の中で網を繕っているのをごらんになった。 そこで、すぐ彼らをお招きになると、父ゼベダイを雇人たちと一緒に舟において、イエスのあとについて行った。」(マルコ1:19-20) 「またゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、彼らにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。」(マルコ3:17)
[3] 「ふたりは一緒に走り出したが、そのもうひとりの弟子の方が、ペテロよりも早く走って先に墓に着き、」(ヨハネ20:4) 「すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいってきて、これを見て信じた。」(ヨハネ20:8)
[4] 長老ヨハネ 新約聖書の「ヨハネの第二の手紙」、「ヨハネの第三の手紙」の冒頭で「長老のわたし」と名乗る人物。「ヨハネの第一の手紙」にはこ出てこない。
[5] 2:11「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現された。そして弟子たちはイエスを信じた。」 2:22「それで、イエスが死人の中からよみがえったとき、弟子たちはイエスがこう言われたことを思い出して、聖書とイエスのこの言葉とを信じた。」 2:23「過越の祭の間、イエスがエルサレムに滞在しておられたとき、多くの人々は、その行われたしるしを見て、イエスの名を信じた。」 ...など