ルカによる福音書3章

バプテスマのヨハネの出現(3:1-6)
ユダヤの地に予言者が現れなくなってから永い年月が流れていた。しかし民はメシヤが来ることを待ち続け、その前にエリヤのような予言者がでるという期待があった。そのためヨハネが荒野で声を上げたとき、人々の驚きと興奮は大きかった。

1節 テペリオはアウグストの後を受けて、14-37年支配した。15年は紀元29年になり、事実上の政治を行った11年から数えて26年頃がイエスの伝道開始と言われる。
  ポンテオ・ピラトは26-36年在職したローマの提督でイエスを処刑した。
  このヘロデはヘロデ・アンテバスで、ヘロデ大王(イエス誕生の時の王)の死後、3人の子に領土を分割。BC4-AD39までガリラヤを支配した。
2節 このときの大祭司はカヤパ(17-35年在職)で、アンナスはその前の大祭司で退職していたが、カヤパの義父であったため隠然たる力を持っていた。
  ヨハネに1サムエル15:10、1列王17:2のように神の声が臨み予言者に召された。エルサレムの神殿ではなく、荒野で宣教が始まったのは、神殿中心の宗教の終わり、新しい時代の始まりだった。
3節 いよいよ神の国が来る。悔い改めて罪の赦しを得たものだけがそこに入れる。罪を捨て悔い改めたことをバプテスマを受けることによって証明しなければならない。
4-6節 イザヤ40:3-5の引用。バビロン捕囚が終わり故国に帰ろうとするユダヤ人に第二イザヤがいったもの。
  当時、王の行幸の先触れとして伝令が来臨を告げ、道がないところには道をつけ、曲がったところはまっすぐにするように命じた。谷は埋め立てられ、山や丘は平らにされる。神の方で神の国の建設が始まるので、人間の方では神の救いを得るために徹底的な悔い改めにより、大きな心の変化をしなければならない。

バプテスマのヨハネの宣教(3:7-20)
7節 毒を持ち、人を刺す嫌なまむしのような者たちは神の裁きを逃れることができない。
8節 ヨハネは彼らを「神の怒り」から逃れたいなら、悔い改めにふさわしい行いをせよと叱責した。
   ユダヤ人はアブラハムの子孫というだけで、神に選ばれた民であると信じていた。ヨハネは「神はこれらの石ころ(バーニム)からでも、アブラハムの子(バニム)を起す」と言い、彼らの誇りはむなしいものであることを示した。
9節 神の選民が正しくなるために火で清められる金や銀のように清められなければならない。そこにはユダヤ人だからという特権はない。
   「見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。
    またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。
    見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。
    その来る日には、だれが耐え得よう。そのあらわれる時には、だれが立ち得よう。
    彼は金をふきわける者の火のようであり、布さらしの灰汁のようである。
    彼は銀をふきわけて清める者のように座して、レビの子孫を清め、金銀のように彼らを清める。
    そして彼らは義をもって、ささげ物を主にささげる。」(マラキ3:1-3)
10節 何か特別なことを求められると思ったであろう。
11節 しかしヨハネは、謙虚に悔い改めた生活をするように言った。
12-13節 取税人も同様に謙虚に悔い改めてた生活をするように言った。
14節 ローマの兵卒にも謙虚に悔い改めた生活をするように言った。
15節 人々はこの人が待っていた救い主キリストではなかろうかと期待しざわめいた。
16節 ヨハネは断固として否定する。自分は救い主を迎えるために悔い改めたしるしとして水でバプテスマをほどこすもので、力のあるかたがくる。その方をこそ待つべきである。私はその方のくつのひもを解く奴隷以下の値打ちしかない。
   火が焼き尽くすように古いものを滅ぼし、聖霊が生命を与えるように新しいものを作り出す。
17節 キリストの来臨は古い物との断絶と審判をもたらす。
18節 19節 ヘロデは、母違いの兄弟の妻ヘロデヤと道ならぬ関係になって王宮に入れていた。ヨハネはそれについてヘロデに直接会って神の道に背くと責めた。
20節 マタイは14章、マルコは6章にこのことを入れている。それに対してルカは初めの方に入れている。それは旧約の予言者が神のことばを語ったため苦しみを受けたと同じ道を歩み、さらに後から来る方が大きな苦難を歩むことを示す意図があった。バプテスマのヨハネは、ここにおいても先駆者となったのである。

イエスのバプテスマ(3:21-22)
イエスはバプテスマのヨハネのところで、民衆とともにバプテスマを受けられた。
21節 イエスには罪がなかったが、全イスラエル(全人類)は悔い改める必要があった。また神の救いの計画である地上で全人類が通過しなければならない道筋を神の御子も通ることが必要であった。それによってイエスは罪がない正しい人であっても救いに与るためには、バプテスマを受けなければならないことを示した。
   バプテスマを受けた後、祈りをもってイエスの地上での公の生涯が始まった。そして祈りをもって地上での務めを閉じた。(23:46)
22節 12歳のとき神殿で「自分の父の家にいる」と言ったイエスが、ここで直接天父によって神の独り子であると宣言された。
   前半は詩編2:7の「おまえはわたしの子だ。」、後半はイザヤ42:1の「わたしの喜ぶわが選び人」からの引用。イザヤ42:1-4は「主の僕の歌」の第一の歌、この後続く歌から、地上における神の独り子は苦難を通して、その使命が達成されることを示す。

イエスの系図(3:23-38)
マタイはアブラハムから下っているが、ルカはヨセフからアダムまでさかのぼっている。
23節 当時は30歳から会堂で律法を説くことが出来た。伝道機関3年といわれるのは、ヨハネによる福音書に過越しの祭が3回出てくるからで、共観福音書には1年位といわれている。
「ヨセフはヘリの子」、ヘリはマリヤの父親で、ヨセフには義理の父になる。ルカによる福音書のイエスの母方の系図となっている。

(2019/02/02)