世界一幸せな国

国連が発表した「世界幸福度ランキング2023」でフィンランドが6年連続一位になった。デンマーク、アイスランド、スウェーデン、ノルウェーなど北欧各国が上位を維持している。 ちなみに2022年に54位だった日本は、2023年に47位に大躍進した。(笑)
幸福度を測る6つの項目(国民1人当たりのGDP、社会保障、健康寿命、人生選択の自由度、寛容度、汚職のなさ)を指標として、幸せの質を数値化したもの。

また、2013年にリーダーズダイジェストは、世界16都市の公園やショッピングモール、歩道で財布を置いたままにする実験を行った。12個の財布に、氏名や携帯電話の番号、家族写真、割引クーポン券、名刺、50ドル相当の現金を入れ、街の様々な場所に置いた結果、ヘルシンキで、12個の財布中11個が所持者の元へ戻り、世界で最も正直な都市だと評価された。
返却したヘルシンキの27歳の学生「フィンランド人は本来正直者で、私達にとってはそれが普通です。私たちのコミュニティーは小さく、静かで、結束が強い。不正がほとんどなく、信号無視だってしない」とのこと。
この実験の対象に日本をはじめアジア各国の都市は含まれていない。
(2023/03)


 ポポヨイスエスプラナーディ通りとエスプラナーディ公園

 マーケット広場では、春を告げるネコヤナギを売っていた。

  ヘルシンキに行く前にロバニエミに行った。フィンランドは、南北に細長い国だ。3月、南のヘルシンキに春が来ようとしている時、サンタクロース村があるロバニエミは、まだ冬の景色だ。大きな川があるのだが、凍った上に雪が積もって、ただの平原に見える。ダウンタウンのホテルから、北緯66度33分を越えて北極圏に入ってみようと、踏み固められて、所々凍っている8kmの雪道をひたすら歩いた。重ね着し、セーターとダウンジャケット、マフラー、毛糸の帽子で歩いていると、すぐ暖かくなるのは景色は冬でも春が近いからだろう。サンタクロースは年中無休だが、さすがにこの季節の村内は空いている。お土産屋の女性の息子が、日本のコミックが好きで、週に一度日本語を習っているそうだ。フィンランド人は日本好きが多い。彼女の話では、フィンランド人は、大人しく、はにかみ屋で、無口なひとが多く、日本人と相性が良いのだそうだ。帰りはバスに乗った。これが凍った雪の上を凄いスピードで走る。こういう環境で生まれ育った熟練した運転手だから大丈夫と頭で分かっていても怖かった。
  ロバニエミから、フィンランド鉄道(VR)のサンタクロース・エクスプレスでヘルシンキに移動した。夕方6時半頃、冬のロバニエミを発車し、翌朝7時頃にヘルシンキに到着すると早春になっていた。ヘルシンキの海は、冬は凍るが、すでに氷が溶けて、静かなバルト海に戻っていた。時々雪がちらついたりするものの、道路に落ちるとすぐに溶ける。エスプラナーディ公園の芝生が緑色になっている。
  だが、日の光はまだ弱く、街路樹の木の枝は、新しい芽を出し渋っている。日光浴を楽しめるのは、まだ先の話し。公園のベンチも寂しそう。だけど、マーケット広場に行ってみると、色とりどりの花を見ることができる。黄色や赤の花があれば、春を先取りすることが出来ようというもの。やはり、春には水仙だ。それにパンジー、プリムラ、アネモネ、、、おやおや、ネコヤナギが出てるぞ。子供の頃、まだ軒下に雪が残っている頃になると、河原に出て、ネコヤナギの花穂の具合を確かめに行ったものだ。 これぞ春の先駆け。大ぶりの花瓶にざっくり挿したり、リースを作ってドアに掛けて春を呼び寄る。
   (Mar. 18, 2008)


 テンペリアウキオ教会の礼拝堂

 ヘルシンキ大聖堂が白く輝く 左上の空の二つの白い点はカモメ

 アンティークセンター前の広場ではフリーマーケットをやっていた。
 アールヌーボーの建物が並ぶエイラ地区

  それまで、夏の旅行は避けてきた。オンシーズンだと混むし、航空運賃、宿泊費が高くなるというのが理由だが、一度は試してみるものだと一大決心した。夏のヘルシンキの公園で読書するのもいいだろう。本当は夏至祭りに合わせたかったのだが、半年前でもさすがにホテルがとれなかった。二日、三日で高い部屋なら空きがあったが、少なくとも一週間は滞在したい。結局一か月遅らせて、七月に行くことにした。
  さすが北欧、夏は夜の10時でもまだ明るい。にわか雨が止んだあと、大きな虹がかかっていた。ダウンタウンの大きなホテルには冷房がはいっていると思うが、私が泊っている郊外のホテルでは、窓を開けていると涼しいので、冷房が入っていない。小さな扇風機が机の上に置いてあったが、音が大きい割には風が弱い。日曜日に地下鉄に乗って、末日聖徒イエス・キリスト教会ヘルシンキ第一ワードの聖餐会に参加した。200名位の会員が出席しているしっかりした建物の教会だが、冷房装置が無く、窓を開けて風を入れていた。周囲が林の閑静な住宅地帯なので、街中と違い冷房は必要ない。朝は上着が無いと肌寒いくらいだ。昼は半そでで気持ちよく歩ける。
  教会から帰った後、ホテルの近くの広い公園を散歩し、恰好の場所を見つけて、木漏れ日の下で読書を楽しんだ。公園に隣接した地域は、手軽な保養地のような所で、小さなバンガローのような建物に宿泊できるようになっていて、入り口のポスターによると映画や家族向けのアクティビティーが楽しめるようになっている。テニスコートやグランドもあるが、敷地がかなり広大なうえ豊かな樹木に覆われているので、そこよりも高い場所にある公園からでも全体を俯瞰することはできない。
  念願のテンペリアウキオ教会を見ることができた。この教会は、大きな岩をくり抜いて作られた非常に斬新なデザインの建物だ。冬に建築美術館でこれの図面を見て、実物を見るのを楽しみにしていた。最初に裏から巨大な岩に登ってみた。丸いドーム状の屋根が見えるが、それ以外は小さな山といった感じで、所々に草花が生えていたりする。屋根の側面がガラスで、礼拝堂内部は理想的な自然採光によって明るい。内部は、岩をくり抜いたままのむき出しのため音響効果が優れており、コンサートにも使われるそうだ、見学に訪れた日、ピアノを演奏していたが、大勢の観光客が騒がしくて、音楽を楽しめる状態ではなかった。
  毎回行くヘルシンキ大聖堂は、夏の太陽に白く輝いていた。観光バスが行き来し賑やかだが、恐れていたほどの喧騒ではない。どこでもそうだが、中国人の団体に出くわすと、どうも調子が狂う。他の国の人には目にすることがない、路上喫煙、吸い殻のポイ捨てを平気でやるし、騒がしいことこの上ない。最近中国政府がこれではまずいと、中国人観光客のマナーの悪さを注意したとのこと。ただ感心するのはそういった観光客の中に、ごくまれではあるが、老いた両親を連れた家族連れいることだ。何かと親の世話をしている姿は、核家族化した日本ではなかなか見られなくなった。
  冬に来た時見たアンティークセンターに行ってみたら、アンティークショップは無くなり、食品関係のお店になっていた。そしてその前の広場では、フリーマーケットが行われていた。
  アールヌーボーの建物が集まっているヘルシンキの高級住宅地帯として名高いエイラ地区を歩いてみた。夏の天気は変わりやすく、晴れていると思うとあっという間に空が曇り、にわか雨にあうことが少なくない。沖縄の夏のカタブイに似ている。エイラ地区に行った時もそういった夏の雨上がりだった。国旗が雨に濡れてだらりと下がっていたりしていた。曲線を多用するエレガントなアールヌーボーの建物は、見ていて心安らぐような気がする。
  
(Jul. 2013)


 ヨットハーバーとウスペンスキ寺院

 秋はキノコの季節、スープにするのが人気
 おばあちゃん達が手編みの商品を売っている

  10月ともなると北のロバニエミは、雪が降り積もっている。しかし、白樺の木は葉が黄色く色づいているものの落葉が始まったばかりの冬と秋が交錯している景色だった。これで風が吹いていると物凄く寒い。ロバニエミには地球最北端の末日聖徒イエス・キリスト教会がある。町の中心から途中林の中を通り抜け、歩いて15分位の住宅地帯にある。周囲は集合住宅と木以外何もない。土地が豊富な地域だから、こういう立地条件になるのだろう。うらやましい。地球最北端のものとして、もう一つマクドナルドの店がある。これはホテルのすぐ近くにあった。さすがにサンタクロースの町のマックだけあって、店内にはサンタクロースのポスターがぶら下がっている。
  ロバニエミは第二次世界大戦の時、ドイツ軍の度重なる攻撃によって壊滅的に破壊され、戦後復興した町だ。北極博物館の歴史コーナーには、大戦当時の様子のジオラマや無線小屋の図、無線機などが展示されている。フィンランドの抵抗軍は、冬季は白い服装とスキーを駆使してドイツ軍を執拗に悩ませた。それにしても、ドイツ軍はこの小さな厳寒の町をどういう戦略的意味で占領しようとしたのだろうか。フィンランドはロシアに侵略され2度戦っている。1度目は第二次世界大戦の勃発から3か月目にあたる1939年11月30日にソビエト連邦がフィンランドに侵攻した戦争で、冬戦争と呼ばれている。フィンランドはこの侵略に抵抗し、多くの犠牲を出しながらも、独立を守ったが、モスクワ講和条約により領土の一部が割譲された。2回目は冬戦争での失地回復を目的としたもので継続戦争と呼ばれている。
  ロバニエミからヘルシンキへはサンタクロース・エクスプレスを使った。寝台車で一室を使う場合、二枚の切符を買うことになる。寒冷地なのでロングレールを使っているためなのだろう。非常に滑らかな走行だ。発車時刻になって、窓の外を見ていると景色がゆっくり後ろに移動していることで、やっと動き出したのが分かる。走り始めの車両と車両の連結がガシャンという音もしない。途中から普通の列車の振動を感じながら、心地よい眠りに入る。
  夕方ロバニエミを出たサンタクロース・エクスプレスは、翌朝7時前にヘルシンキ中央駅に着く。チェックインには間があるのでホテルに荷物を預け、朝の街を歩いてみた。10月のヘルシンキは、紅葉の秋になっていたものの、まだ葉が緑のままの木も多い。朝なので、デパートは開店していないが、ショーウィンドーで、秋の装いを見ることが出来る。ヨットハーバーでは早朝から、帆揚げの作業をやっている。冬に海が凍って、ヨットが使えなくなる前の貴重な時間だろう。昼近くになるとマーケット広場に活気が出てくる。秋は果物とキノコのシーズンだ。森でキノコ狩りが出来ない都会の人たちは、ここやスーパーで、キノコを買い、キノコスープを作る。この季節は冬支度の季節でもある。フィンランドの人たちは、冬になるとニットの帽子を被る。それが女性の場合、耳付きのものが多い。耳というのは動物の耳のことで、子供ならウサギの耳が多いが、大人でも猫の耳のようなものが付いている。そのニットの帽子とか、靴下、マフラーをおばあちゃんたちが、並んで手編みしながら売っているのもこの季節だ。   
(Oct. 2009)


 エスプラナーディ通り ヘルシンキ

 屋根の雪下ろし ヘルシンキ

 海が凍りヨットも冬眠 ヘルシンキ

 冬のホテル近くのトラム乗り場 凍結防止剤がまかれている ヘルシンキ

  
  フィンランドは、2月中旬頃が一番寒くなる。そのため。学校は二週間の休みになる。ヘルシンキの宿泊先のホテルに5,6名の小学校高学年位の子供たちが、教師と思われる男性に引率されて泊まっていた。地方から、休みを利用して課外授業に来たのかもしれない。 この季節に外を歩くときは、滑らないように足元を注意しなければならない。繁華街の歩道は、きれいに除雪される。もし、雪が残る場合は、凍結防止剤が撒かれている。しかし、住宅地の路地などは、そういうわけにはいかず、雪が踏み固められ表面が凍って滑りやすい。特に車が通ったわだちと、人が歩く部分との間の雪が、氷の傾斜になっているので危険だ。郊外のトラム乗場も結構あぶない。地元の人は慣れているから、平気の平左だが、私は滑り止めの靴を履いても最初怖かった。ホテルのエントランスの坂がつるつるで、上るときは立っているだけでも後ろに戻り勝ちだし、下るときは滑りそうになる。三ツ星以上の観光客向けホテルならしっかり除雪するだろうが、私はそういうところには泊まらないので、費用を節約する分、気を付けなければならない。
  冬のヘルシンキを歩く時に注意しなければならないのは、足元だけでない。4、5階建ての住宅が立ち並ぶ通りを歩くときは、屋根から落ちてくる雪の塊に気を付けなければならない。時にはツララが落ちてくることがある。日曜日に教会から帰るとき、目の前にドサッと落ちてきて驚いたことがあった。会社などが入っている建物だと、業者を使って屋根の雪下ろしをするが、集合住宅の場合、そういうことはしないようだ。寒いとはいっても、日中に太陽が出ると気温が1、2度まで上がることがある。そうするとアールヌーボーの建物は屋根が傾斜しているので、固まっていた雪が緩んで下に落ちる。
  フィンランドはアートの国だ。こういう寒い時期は、美術館や博物館に行くのが良い。 私は毎回、デザイン博物館、フィンランド建築博物館に行く。 デザイン博物館は、その名の通り北欧デザインを集めた博物館だ。 コップや椅子など今では一般的になっているデザインの基になったものが多くみられる。木曜日の午後は無料になる。デザイン博物館に隣り合っている建築博物館も好きだ。テンプリアウキオ教会の秀悦なデザインを知ったのは、この博物館だった。 アモス・アンダーソン美術館もいい。 そこは個人で収集したコレクションを展示している美術館だ。美術品の他に、収集家が使っていたアンティーク家具、居間、礼拝室などが再現されいて楽しい。館内を一回りした後、下のカフェでゆっくり休めるのもよい。
  国立アテナウム美術館も見ごたえのある美術館のひとつだ。ヘルシンキ中央駅の前にあって行きやすい。 一階に大きなカフェテリアがあり、ビュッフェスタイルのランチに寄るのにも便利だ。(ランチと言えば、フォルムデパートの地下のフードコートも便利だ。 このデパートの2Fは、ムーミンショップが入っている。) アテナウム美術館は、19世紀に建てられた歴史ある国立美術館で、広々とした館内てゆっくり鑑賞できる。国立近代美術館キアズマも有名だが、モダンアートは、私の好みではないので、今まで一度行っただけだ。
  フィンランド国立博物館は、博物館好きの私にとって、朝から晩までいたい場所だ。最後に行ったとき、第二次世界大戦の展示室が工事中だった。次に行くとき見るのを楽しみにしているがまだ実現していない。
  冬のヘルシンキを過ごす場所として、ミュージアムとともにエスプラナーディ通りのアカデミア書店も良い。アアルトが設計した書店で、素晴らしい装丁の美術書や北欧デザインの本を立ち読みするのは楽しい。翻訳された日本のコミックのコーナーがあった。今や日本製コミックは日本文化の一つとして、認知されているようだ。他国のコミックと違い、大人も読むことができるものだそうだ。
  夕方トラムを降りて、ホテルの方に歩いていた時、一人の男性が、何やら話しかけてきた。フィンランド語なので全然分からない。英語で話してくれないかと言ったら、アレッという顔をして、英語で話し始めた。部屋に鍵を置いたままロックして出てきてしまったので、電話を貸してくれないかということだった。部屋の鍵だけならドアをノックすれば済むが、アパートの部屋の他に各階段の1階入り口のドアを開錠するようになっている。テザリングでフィンランドのキャリヤ経由で使えるはずなので、携帯電話を貸したが、繋がらないという。エリアコード入れたかと聞こうとしているところに、アパートの前にタクシーが止まり、人が降りてきたので、玄関に入る問題は解決し、その場は、ありがとう、どういたしましてで終わった。 冬に外を歩くときは、長めのマフラーで首を覆い、頭にニットの帽子を被り、さらにコートのフードを被るので、顔の露出部分が少なくなる。それに年とともに皺が増えるから、フィンランド人と勘違いされたのかもしれない。宿泊先のホテルは、郊外にあるアパートを改築したもので、国内出張や家族旅行の利用が多い。一人でその辺を歩いている海外旅行客はあまりいない。ダウンタウンの普通のホテルの宿泊料金の三分の一で泊まれるのでそこにしている。観光で泊まるのではなく、暮らすように滞在したいので、一週間から十日位泊まる。朝食後トラムで、出勤するようにダウンタウンに行き、一日一カ所の博物館か美術館で過ごしたり、ゆっくり歩きまわったりして、夕方帰って来る。    (Feb. 2011)