ルカによる福音書1
ヨハネの誕生、イエスの誕生の約束

まえがき
新約時代の幕開けが、ルカの手で美しく書かれている。まず天使ガブリエルか祭司ザカリヤに妻エリザベツが男の子を生むことを伝える。次に処女マリヤを訪れイエスを生むことを伝える。神に仕えるザカリヤは不信によっているおしになり、いなかの乙女マリヤは純粋な信仰により喜びに満たされる様子がシンメトリックに描かれている。
この章にはマリヤの神に対する信頼と純粋な信仰で、神がなされた約束を清く歌い上げる「マリヤの賛歌」(マグニフィカト)と、ザカリヤが信仰の試練である10ヶ月の沈黙によって純化された魂が精霊を受けて、神の御業の始まりとヨハネの使命を力強く歌う「ザカリヤの賛歌」(ベネディクトゥス)の二つの賛歌を含む。ルカによる福音書の始まりとして、特に深く味わいたい部分となっている。

1節 わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって、
  神の救いの御業がイエスキリストによって実現した。
2節 御言に仕えた人々が伝えたとおり物語に書き連ねようと、多くの人が手を着けましたが、
  キリストの福音に従い宣教に忠実であった人々のことを伝えようと、すでに多くの人が書いおり、マルコやマタイによる福音書など、
  多くの文書が世に出ていた。ルカはマルコによる福音書を調べて、自分の福音書を編纂していったのだろう。
3節 テオピロ閣下よ、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、ここに、それを順序正しく書きつづって、閣下に献じることにしました。
  ルカはイエスから直接教えを受けていないが、詳細に調査し、順を追って書きまとめた。
4節 すでにお聞きになっている事が確実であることを、これによって十分に知っていただきたいためであります。
  テオピオが聞き及んでいる事が決していい加減なことではなく確かなことであることを知り、
  それによってキリストと福音の正しい信仰に達してほしいという願いが込められている。
  閣下(クラティストス)とはローマの高官を呼ぶときに使用したもの。
  テオピオは「神を愛するもの」という意味のギリシャ語。キリストについてはある程度聞いており、心を寄せていたと思われる。

先駆者ヨハネの誕生の約束
5節 ユダヤの王ヘロデの世に、アビヤの組の祭司で名をザカリヤという者がいた。その妻はアロン家の娘のひとりで、名をエリサベツといった。
  ここのヘロデは在位BC37-AD4年のヘロデ大王。ルカはここでイエスがユダヤにおいて生まれた歴史背景を明らかにしている。
  祭司の組は24組に分かれ、第8組が「アビヤの組」と呼ばれた。(1歴24:10)
  アロン家は祭司のうちの名門だった。
6節 ふたりとも神のみまえに正しい人であって、主の戒めと定めとを、みな落度なく行っていた。
  二人とも律法に忠実に従っていた。
7節 ところが、エリサベツは不妊の女であったため、彼らには子がなく、そしてふたりともすでに年老いていた。
  当時子供がいないのは罪の罰と考えられていた。
  「主はこう言われる、「この人を、子なき人として、またその一生のうち、栄えることのない人として記録せよ。」(エレミヤ22:30)
  「神のみまえに正しい人」であったエリザベツが、罰のためとは考えられないが、ラケルのように寂しいと思っていたに違いない。(創30:1)
8節 さてザカリヤは、その組が当番になり神のみまえに祭司の務をしていたとき、
  当時祭司は2万人もいたと言われ、組が当番になるのは1年のうち短い期間だった。
9節 祭司職の慣例に従ってくじを引いたところ、主の聖所にはいって香をたくことになった。
  各組は一週間奉仕をしたが、祭司の数が多いためくじを引いて当たったものが宮に入って奉仕する光栄を得た。
  それは一生に一度の名誉だった。
10節 香をたいている間、多くの民衆はみな外で祈っていた。
   香をたくのは祭司の大切な役目だった。(出30:1-9、民16:1-40)
   民衆は聖所で祭司がどのような啓示を受けたのか聞こうと、祭司が出てくるのを外で待っていた。
11節 すると主の御使が現れて、香壇の右に立った。
   この御使は天使長ガブリエルだった。聖所での主の御使の現れは、神と人との出会いを意味する。
12節 ザカリヤはこれを見て、おじ惑い、恐怖の念に襲われた。
   聖なる神に出会うことは、汚れた人間にとって死を意味し、ザカリヤは恐怖を覚えたのだった。
13節 そこで御使が彼に言った、「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい。
   メシヤが地上に来ようとしているこの時に、天から来たみ使い口から出たの最初の言葉は、
  「恐れるな」であった。福音は人間から恐怖を取り去ることから始まった。
   ザカリヤはエリザベツとともに子供が与えられることを祈り求めていたが、
   長い間に忘れてしまっていた。
   神はその祈りをおぼえておられ、今願いが聞き届けられたと言うのである。
   しかし高齢になっていたザカリヤにはそのことが信じられなかった。
14節 彼はあなたに喜びと楽しみとをもたらし、多くの人々もその誕生を喜ぶであろう。
15節 彼は主のみまえに大いなる者となり、ぶどう酒や強い酒をいっさい飲まず、母の胎内にいる時からすでに聖霊に満たされており、
   ナジル人と呼ばれた神の御心を行うことに請願を立てた人々はぶどう酒や強い酒を飲まなかった。
  「イスラエルの人々に言いなさい、『男または女が、特に誓いを立て、ナジルびととなる誓願をして、
   身を主に聖別する時は、ぶどう酒と濃い酒を断ち、ぶどう酒の酢となったもの、
   濃い酒の酢となったものを飲まず、また、ぶどうの汁を飲まず、
   また生でも干したものでも、ぶどうを食べてはならない。」
16節 そして、イスラエルの多くの子らを、主なる彼らの神に立ち帰らせるであろう。
17節 彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう」。
   救い主の来臨の前にエリヤが来て人のこころを整えて備えさせる。
  「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。
   彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。
   これはわたしが来て、のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである」。
   (マラキ4:5-6)
18節 するとザカリヤは御使に言った、「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」。
   ザカリヤは理由、証拠を求めた。これは神への不信であった。
19節 御使が答えて言った、「わたしは神のみまえに立つガブリエルであって、この喜ばしい知らせをあなたに語り伝えるために、つかわされたものである。
20節 時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから、あなたはおしになり、この事の起る日まで、ものが言えなくなる」。
   不信仰に対する罰と教育のためザカリヤに体で知らせた。
   黙るということは、「神を待ち望む」という意味があり、ザカリヤは身をもって知ることになる。
21節 民衆はザカリヤを待っていたので、彼が聖所内で暇どっているのを不思議に思っていた。
   儀式を行った後、聖所から出てきた祭司は、庭で祈っていた群衆に教え祝福する役目を持っていた。
22節 ついに彼は出てきたが、物が言えなかったので、人々は彼が聖所内でまぼろしを見たのだと悟った。彼は彼らに合図をするだけで、引きつづき、おしのままでいた。
   ザカリヤは「この事の起る日」までおしのまま、神を待ち望むものとなり、主は恵み深い方であることを知ることになる。
   彼はそれを必死に身振りで群衆に伝えようとするが、聖なることなのでそれを悟るものはいない。
23節 それから務の期日が終ったので、家に帰った。
   ザカリヤの組の務めの週が終わり、家に帰って行った。
24節 そののち、妻エリサベツはみごもり、五か月のあいだ引きこもっていたが、
25節 「主は、今わたしを心にかけてくださって、人々の間からわたしの恥を取り除くために、こうしてくださいました」と言った。
   素朴な信仰を持っていたエリザベツは、年老いて授かった恵みに何の疑問も持たず神の深い慈しみに感謝した。
   夫ザカリヤとの信仰の持ち方に違いがある。

救い主誕生の約束
いよいよ救い主が誕生されるとの約束が天使ガブリエルによってマリヤに伝えられる。
天使が伝えたことは処女マリヤにとって驚嘆すべき内容だったので、ひどく胸騒ぎがしたが、
天使の説明を聞き、信仰により受け止めることができた。
ここに謙虚なマリヤの神に対する絶対的な信頼が美しく描かれている。

26節 六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。
27節 この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。
   ダビデの家系からメシアが出ると予言されていた。マリヤもダビデの家系だった。
   (2サムエル7:12-16、イザヤ9:6-7、詩編89:20,29)
28節 御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。
29節 この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。
30節 すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。
   天使に会って驚き恐れたことはザカリヤと同じだが、結果は反対になった。
   ザカリヤは不信仰でおしになり、マリヤは信仰をもって神を賛美し喜びに満たされた。
   ルカは老人の祭司と若いいなかの女を対照的に描き分けている。
31節 見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。
   イエスはギリシャ語名で、ヘブル語はィェホシェア(ヨシュア)から出たもので、ユダヤ人の間で多く用いられた。
   イエスとは、助ける、救うという意味があり、まことにユダヤ人の一人であるとともに、ながく待たれた神の救いの名にふさわしい。
   ここにおいてイザヤの予言がイエスにおいて成就したのである。 マタイ1:23
   イザヤ7:14「それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。
   見よ、おとめがみごもって男の子を産む。
   その名はインマヌエルととなえられる。」
   インマヌエルとは、ヘブル語で「神われらとともにいます」の意味。
   この名をつけられた幼児は、神の顕在のしるしとなり、ヤハウェの霊を与えられている。(イザヤ11:1-9)
32節 彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、
   キリストは永遠の王であり、神の主権をイエスが持たれる。
33節 彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。
   ヤコブの家とはイスラエルの国家のこと。
34節 そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。
35節 御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。
   この救いが神のなしたもう御業であって、人間の力ではないことを示す。
   普通の誕生において、人間は神の創造の働きに神と共に参加する。
   しかし救い主の誕生という、神の計画の出来事においては神のみが一方的に働かれる。
36節 あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。
37節 神には、なんでもできないことはありません」。
   全能の神の力の宣言。処女降誕は、神が全能のおかたであるという信仰が先にある。
   天使はマリヤの信仰を強めるため、不妊と言われていたエリザベツの懐妊とサラの故事を示した。(創18:14)
38節 そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。
  「主のはしため」は、マリヤの絶対的な服従と謙遜を表す。
   また「お言葉どおりにこの身になりますように」は、マリヤの素朴な絶対的信頼、純粋な姿を示す。
   婚約者ヨセフの選択によっては、不義の女として石打にされる可能性があったにも関わらず、
   命を懸けて神の御心に従おうとするマリヤの純粋な信仰の強さがこの言葉に表れている。聖母マリヤの評価の高さの所以である。

マリヤのエリザベツ訪問(39-45)   
天使からエリザベツのことを聞いたマリヤはザカリヤの家に行き、エリザベツに会った。
この二人の邂逅は美しい物語である。ルカの優れた筆力をうかがわせる。
エリザベツはこころからそして声高くマリヤを祝福し、 
救い主の母となるマリヤの訪問の光栄を感謝した。
そのときエリザベツの胎内の子供も喜びおどったという。

39節 そのころ、マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、
40節 ザカリヤの家にはいってエリサベツにあいさつした。
41節 エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、その子が胎内でおどった。エリサベツは聖霊に満たされ、
   ともに苦しみ、喜ぶエリザベツとマリヤの年齢と境遇を越えた喜ばしい姿をルカは美しく描写する。
   すでに胎内にあったヨハネは道を備えるものとして歓喜する。
   ルカはエリザベツが聖霊に満たされたことを描写している。
42節 声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。
43節 主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。
44節 ごらんなさい。あなたのあいさつの声がわたしの耳にはいったとき、子供が胎内で喜びおどりました。
45節 主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。
   エリザベツは若いマリヤと夫の祭司ザカリヤを比較して、信仰についての思いを深くした。
   信仰は神の言葉への無条件の信頼である。そこに信ずることによる真の幸福の姿を見ることができる。

「マリヤの賛歌」(46-58) 
エリザベツのことばを聞いて、マリヤは神をあがめた。
46-55は、マグニフィカトと呼ばれる「マリヤの賛歌」。
ルカによる福音書に書かれている三つ賛歌 [*] のうちの一つ。
マリヤの喜びと信仰をのべ、イスラエルに対する神の約束の真実を歌い上げている。
マリヤの賛歌は、46-48節、49-50節、51-53節、54-55節の4つの部分から成り、それぞれが4つの句で構成される整った詩である。
前の二つはマリヤに関し、あとの二つは民族に関してうたわれている。
旧約から集められた様々な言葉が、マリヤの信仰によってまとめられ、みごとに歌い上げられている。

46節 するとマリヤは言った、
   「わたしの魂は主をあがめ、
  「魂」は生来持っている人の心と精神。
47節 わたしの霊は救主なる神をたたえます。
  「霊」は神から授けられたもの。「魂」と「霊」の全人格をもって主をあがめたたえる。
48節 この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。
   今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、
  「卑しい女をさえ」とマリヤの謙虚さを表している。
49節 力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。
   そのみ名はきよく、
   神は力あるかた。
50節 そのあわれみは、代々限りなく
   主をかしこみ恐れる者に及びます。
   その力あるかたは、あわれみの主である。
51節 主はみ腕をもって力をふるい、
   心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、
   心のおごり高ぶるものは追われ、
52節 権力ある者を王座から引きおろし、
   卑しい者を引き上げ、
   卑しい者は引き上げられる。
53節 飢えている者を良いもので飽かせ、
富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。
   旧約において予言され待望された神の国がこの世に来る時、今の秩序は逆転する。
54節 主は、あわれみをお忘れにならず、
   その僕イスラエルを助けてくださいました、
   人間は忘れても、ひとたび約束された神はお忘れにならない。
55節 わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを
   とこしえにあわれむと約束なさったとおりに」。
   聖書が契約の書と言われるのは、神が徹底的に約束されたことを行う真実なかたという意味である。
56節 マリヤは、エリサベツのところに三か月ほど滞在してから、家に帰った。
   翌月はエリザベツの月が満ちる。マリヤはナザレの家に帰って行った。

先駆者ヨハネの誕生(57-66)
10ヶ月の月が満ちた後、エリザベツは男子を生んだ。これは夫妻の喜びとともに、近隣親族の人々の喜びとなった。
律法に従って割礼を行い、命名することになった。
人々は父の名と同じにしようとしたが、エリザベツはヨハネという名にしようという。
父親に筆談で尋ねると同じくヨハネと言う。
そして命名とともにザカリヤの口がきけるようになった。
その不思議さに、人々の間には恐れと評判が広がった。
57節 さてエリサベツは月が満ちて、男の子を産んだ。
   老齢になっての出産なので、近隣親族の人々も出産の時まで気をもんだことだろう。
58節 近所の人々や親族は、主が大きなあわれみを彼女におかけになったことを聞いて、共どもに喜んだ。
   ヨハネの誕生は、エリザベツに対する神の慈愛のあらわれと人々は喜んだ。
   しかしこれはエリザベツ個人への慈愛にとどまらず、全人類への慈愛となった。
59節 八日目になったので、幼な子に割礼をするために人々がきて、父の名にちなんでザカリヤという名にしようとした。
   割礼はユダヤ人にとって神と民族との契約のしるしであった。
   「あなたがたのうちの男子はみな代々、家に生れた者も、
    また異邦人から銀で買い取った、あなたの子孫でない者も、
    生れて八日目に割礼を受けなければならない。」(創17:12)
   父の名をつぐことは当時しばしばあった。ザカリヤが年をとっていたので後継者の意味もあった。
60節 ところが、母親は、「いいえ、ヨハネという名にしなくてはいけません」と言った。
   エリザベツが、筆談で夫から、子供の名前をヨハネにするようにとの神の指示を予めきいていたのだろう。
61節 人々は、「あなたの親族の中には、そういう名のついた者は、ひとりもいません」と彼女に言った。
   ザカリヤの年齢を考えると、親族の大多数は生まれた子が父親の名を継ぐのが妥当と考えていた。
62節 そして父親に、どんな名にしたいのですかと、合図で尋ねた。
   そのときのザカリヤは口が聞けないが、聞くことはできたであろう。しかし周りの者は手振りで尋ねた。
63節 ザカリヤは書板を持ってこさせて、それに「その名はヨハネ」と書いたので、みんなの者は不思議に思った。
   エリザベツと同じようにザカリヤも、子供の名はヨハネと書いたので、皆これはどういうことかといぶかしく思った。
64節 すると、立ちどころにザカリヤの口が開けて舌がゆるみ、語り出して神をほめたたえた。
   神の命令を自身の手で実行したとき、おしから解放されて自由になった。
   この10ヶ月、ザカリヤは深く自分の神に対する不信を悟り、祈って純粋になっていたであろう。
65節 近所の人々はみな恐れをいだき、またユダヤの山里の至るところに、これらの事がことごとく語り伝えられたので、
66節 聞く者たちは皆それを心に留めて、「この子は、いったい、どんな者になるだろう」と語り合った。主のみ手が彼と共にあった。
   人々はこの不思議な出来事に恐れを抱き、今はただ不思議に思うのみだった。

「ザカリヤの賛歌」(67-80)
68-79が「ザカリヤの賛歌」。ベネディクトゥスと言われる。
10ヶ月の沈黙を破り、信仰の訓練によって純化されたザカリヤの高揚した精神力が力強く歌われている。

この賛歌は、68-75節、76-79節の2つの部分から成る。
第一の部分は、イスラエル民族に与えられた神の恩寵に対する感謝。
第二の部分は、ヨハネに与えられた神の恩寵に対する感謝である。
マリヤの賛歌と同じように旧約聖書からの引用が多い。(詩41:13、111:9、1サム3:10、レビ26:42、マラ3:1、イザ9:2)
先祖に与えられた聖なる契約は忘れられていない。
神の契約のもとに救いのみわざはまさに始められようとしている。
幼子ヨハネよ、あなたは主の前に行って道をそなえるもの。
まもなく神の光は暗黒に照り、人々は平和に歩むようになるだろう。
幸いなるかな、わが子の使命よ。
かくて幼子ヨハネは成長してゆく。

67節 父ザカリヤは聖霊に満たされ、預言して言った、
   救いの大業の始まりを神の御心を代わって告げた。またヨハネの使命を述べ、喜びのときが間もなく来ることを告げた。
68節 「主なるイスラエルの神は、ほむべきかな。
   神はその民を顧みてこれをあがない、
   ラテン語の最初の言葉からこの賛歌をベネディクトゥスという。
   神は自ら人間のところにおいでになる。それが「あがない」(詩111:9)
69節 わたしたちのために救の角を
   僕ダビデの家にお立てになった。
  「救の角」野牛からの連想で力のしるし。
70節 古くから、聖なる預言者たちの口によってお語りになったように、
   救いは予言者たちによって神がすでに語られている。
71節 わたしたちを敵から、またすべてわたしたちを憎む者の手から、救い出すためである。
   それが救い主イエスによってまさに起ころうとしている。
   これは第二の出エジプトである。敵、憎む者は悪魔。
72節 こうして、神はわたしたちの父祖たちにあわれみをかけ、その聖なる契約、
73節 すなわち、父祖アブラハムにお立てになった誓いをおぼえて、
   創17:7の契約は人が罪と不信によって忘れても、神はけっしてお忘れにならない。
74節 わたしたちを敵の手から救い出し、
75節 生きている限り、きよく正しく、
   みまえに恐れなく仕えさせてくださるのである。
   救の目的。
76節 幼な子よ、あなたは、いと高き者の預言者と呼ばれるであろう。
   主のみまえに先立って行き、その道を備え、
77節 罪のゆるしによる救を
   その民に知らせるのであるから。
   ヨハネの使命は、救い主イエスのさきがけとして、人々を悔い改めに導き、主を迎える準備をさせること。
   ザカリヤは誇らしくヨハネが、神(いと高き者)の預言者になるだろうと祝福した。
78節 これはわたしたちの神のあわれみ深いみこころによる。
   また、そのあわれみによって、日の光が上からわたしたちに臨み、
   救は夜明けであり、光が上から照ることによって成就する。
   すなわち神から臨んで、救いが達成される。
79節 暗黒と死の陰とに住む者を照し、
   わたしたちの足を平和の道へ導くであろう」。
   キリスト以前は暗黒と死、キリスト以後は平和(イザ9:2、詩107:10-14)
80節 80幼な子は成長し、その霊も強くなり、そしてイスラエルに現れる日まで、荒野にいた。
   身体的に健やかに成長し、霊(神からの力)も増し、公の働きに入るまで荒野にいた。
   荒野は物質的には不毛の地だが、宗教的にはモーセ、エリヤを育てた。ヨハネも訓練と祈りをもって将来に備えた。

(2019/01/19)


[*]  ルカによる福音書には次の美しい賛歌が登場する。
 1) マリヤの賛歌  1:46-55
 2) ザカリヤの賛歌  1:68-79
 3) シメオンの賛歌  2:29-32